●任意保険について考える。 (ケンカ週間、第二日)
任意保険に入りなさいと人は言う。
もちろん、私も入ってますが…。
しかし、
なぜ任意保険に入るべきか、明確に説明している保険会社はない。
それは、各社の説明をよく読むと、厳然たる事実なのだ。
保険業界、これでいいのかなぁ。
実際のところ、
「保険をやめたとたんに事故に逢った人がいて…」
などと、
霊感商法のような売り方 をする人にもしばしば出会う。
これは、いかがなものかと思う。
また、大抵は、高額の賠償請求事案を挙げて、
「
事故をしたら、損害賠償がこんなに高額になります。
払えないと困るから任意保険に入りましょう。」
というが、これも実はおかしい。
任意保険に入っているから、あるいは支払能力が認められるから、
判決が高額になるのであって、実際のところ、
支払能力がなければ、高額事案にはならない のだ。
身も凍るようなイヤな事実であるが、
加害者に全く支払能力がないなら被害者には支払われない。
払えないものは、払えないのだ。
したがって妙な話だが、任意に入っていると(保険により支払能力が上がっているため)、
損害賠償額が高くなり、入っていないと低くなるというのが現実なのだ。
だから、
高額事案の例だけ を挙げて、いざという時のために入りなさいと
いうのは、ちょっとおかしな理論なのだ
。※非加入時の事案と加入時の事案を見せて説明すべき事象。
任意保険というのは、本来、自分のために入るものではない。
これは、事故をしたときに、被害者により多く支払うためのものなのだ。
そのために、加入するものなのだ。
──そう理解するのが、つじつまが合う。
つまり、人のために余計なお金を払うのはごめんだという人は入らなくてよいと思う。
私が被害者家族であるとして何を望むか。お金がたくさん支払われれば満足なのか。
例えば任意保険の範囲まで強制保険が拡大したとしよう。
「法律上、やむなく入っていた保険から」多額の賠償金を支払われたとして、
また、その加害者が何の反省もみせなかったとして、何かが報われるのだろうか。
加害者が何の反省もなく資産を投げ打つこともなく今までと全く同じ生活を続けることに、
自分がもし被害者家族だったとしたら我慢できるのだろうか。
そう考えると、そんな加害者には、
一生、額に汗して働いて欲しい と思うかも知れない。
私は、絶対に事故などしないから…という馬鹿げた理屈で任意保険に入らないのではなく、
私は、事故をしたら、一生かけて償いたいし、保険の仕組みに納得出来ないという考えなら、
それはそれで立派な考え方ではないかと思うのだ。
また、事故に対する考え方として、
ちょっと事故したところで、任意保険に入っているから大丈夫だろう
などという感覚が
生まれてしまうのなら、任意保険に入って欲しくは無いとも思うのだ。
さて、いろいろ屁理屈をこねてみたが、
やはり、多少の無理をしても、任意保険には入って欲しいなとは、正直なところ思う。
入ったほうがいいですか?と聞かれれば、そのほうがいいよと答える。
しかし、法律が任意保険を任意とする以上、それは任意でよいとも心の片隅で思う。
任意であるところに意味がないとも言えない。
任意であるからこそ、加入者が交通社会に示せるものもあるのではないだろうか。
法律を変えたいと望むなら、それはまた別の問題。
何が被害者家族のためになるのか、何が被害者を減らすことにつながるのか、
それこそ本当にじっくりと考えなければいけないと思う。
さて。任意保険について、あなたはどう思いますか?
※例によって例のごとく、私の記事は、あくまでも話題のための「屁理屈」であり、
その理論は穴だらけでデマカセですので、激怒したり感化されたり本気で私をいじめたり
なさいませんよう、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。
それなら、強制保険化されなければ、まずいでしょう。
コストアップだからと特例化では、タクシーがますます怖くなります。
ただでさえ、バイクの敵と認識されているのですから…。