愛車 FZ1とDYNA LOW RIDERで過ごす週末を
おやじが綴る日記です


過ぎ去って行く季節に
打ち寄せる月日に
そして
愛すべき
戦士と 僧侶と 画家たちに
この物語を捧げます



















おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなすものは 心なりけり

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しばらくブログをお休みします 2012年02月10日(金)
父が亡くなったので暫く喪に服します。ブログもお休みします。




生まれて来る新しい命と、消えて逝く老いた命。

でも、子供のように無邪気でやすらかな顔をしていました。


いつもの道 A 2012年02月08日(水)
あっと言う間に水曜日になってしまった。

家族のことやら仕事のことやら心配事は尽きないのだけれど、先週末のツーリングで出合った風景や出来事などを想い出してみる。

しんどい時には楽しいことを考えるのが上手に生きる秘訣だろう。



真鶴、新幹線はもっと内陸側を通るが、東海道本線は真鶴半島の付け根を走る。


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今ここ 2012年02月06日(月)

広島も雨


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いつもの道 2012年02月06日(月)
昨日の走行は390Km。西湘バイパスから伊豆半島に入り、東海岸沿いをひたすら南下して爪木崎まで行き、また同じルートを戻って来た。

益子町に行きたいとお経を唱えるように言っているんだけれど、今年の冬は気温が低く路面が凍結していて危険だと誰も益子町方面へのツーリングには付き合ってくれない。路面が凍結していても集中力で乗り切れるよとメールで返事を返したら、笑われた。

そんなわけで伊豆半島に出掛けた。山の上は危ないので伊豆スカイラインも通らない。後輪が滑っても焦らないが、前輪が滑ったら一巻の終わりだ。ひたすら海岸沿いを走った。

冬の間のツーリングコースの選択肢は少ない。でも、冬の間は一切走れない地域のバイク乗り達に較べたら、 僕らは恵まれている。

西湘バイパスを下りた後は、走り慣れた裏道の県道740号線を走り、伊東から伊豆高原までは国道135号線ではなく県道109号線を走った。何時もの道なんだけれど、丁寧に味わうように走ってみた。

そして普段は立ち寄らない、伊東の市内とか港、稲取の裏の細野高原にも立ち寄ってみた。今朝はけっこう背筋や腕が痛い。久し振りのツーリングで変に身体に力が入っていたのかな。それとも普段は意識しないけれど、バイクはけっこう体力を使うのかも知れない。ずっと乗っていなかったので、身体が鈍っていただけかもね。

爪木崎と細野高原の写真をアップします。


爪木崎




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今ここ 2012年02月05日(日)

伊東 「東海館」


平清盛の末裔 2012年02月02日(木)
NHKの大河ドラマ「平清盛」を観ていると、人間にとって”血”というものは絶対的なものなのだろうか、というとても難しい疑問を投げかけられている気がして来る。けっしてそれは、あの物語のメインテーマではないのだろうが、物語の重要なテーマの一つにはなっているように思える。

平清盛は白河法皇のご落胤ながら、義理の父 平忠盛に感化されながら立派な武家の棟梁になって行く。平忠盛は”血”のつながっていない清盛を必死で育て上げて行く。また、祖父と孫の関係にありながら軋轢を持つ白河法皇と鳥羽天皇が描かれていたりする。

同じ天皇家から臣籍降下して武士となった平氏と源氏が争ったりするし(平氏は第50代 桓武天皇の子孫、源氏は第56代 清和天皇の子孫だが、清和天皇は紛れもなく桓武天皇の直系だ。清和天皇の父親が文徳天皇、文徳天皇の父親が仁明天皇、仁明天皇の父親が嵯峨天皇だが、嵯峨天皇は桓武天皇の息子だ。)、保元の乱では、同じ源氏である父 源為義、八男 源為朝親子と、長男 源義朝が敵味方に別れて戦ったりする。

”血”なんかより”損得”だよ、今の世の中だって金の為に骨肉の争いが起きるじゃないかと、安易に現代的な解釈をしたいのではない。環境とか、愛情とか、義理とか、恩とか、大義とか、それぞれの正義とか、色々な想いで人間は縛られたり縛ったりするが、それらの束縛や立ち位置とかと、”血”とどちらが強いものなんだろうという問い掛けだ。

今のとても平和な時代に暮らす僕らにして見れば、遠い親戚は別にして、従兄弟ぐらいまでは絶対的な身内であり、理屈を越えた位置付けにある。親子の戦い、祖父と孫の戦いなんて想定外の話だ。まあ、争うほどには芯や主義主張が互いにあるわけではないと言ってしまったらそれまでなんだけれど。

歴代の源氏や平家の人々を一人一人を検証したわけではないが、源氏と平氏を較べると、どちらかと言うと源氏の人々の方が激しい気性で、”血”を分けた身内同士でも殺し合っている印象が強い。源義仲(木曾義仲)の父親である源義賢は、甥の源義平(悪源太)に殺されるし、源義仲自体も、源頼朝の差し向けた源範頼、源義経に殺される。そして源義経も最後は源頼朝に追われる。時代は下り鎌倉時代に入っても、北条にそそのかされたとは言え、二代将軍 源頼家の息子の公暁は、叔父の3代将軍源実朝を暗殺した。言ったら怒られるが、平氏に較べ源氏には乱暴者も多い。それが源氏の男系の”血”の突発事故なのか、その時々で交じる女系の”血”のなせる技なのか分からない。源為義の父親の源義親は、大変な暴れん坊で九州で略奪を働き隠岐に流されたが、隠岐から抜け出し出雲に渡ってまた暴れ官吏を殺した。源頼義 - 源義家が築いて来た源氏の勢力は彼のせいで一時衰退した。前述の源為朝は父親には従順だったが、鎮西八郎として九州で大暴れしたし、保元の乱の後に伊豆に流されて、また大暴れした。

平氏からも気性の激しい人々は出ているが、乱暴者の部類の人はいない気がする。また、身内での殺し合いはなかったようだ。平家の出自である伊勢平氏ではなく、平良文流の坂東平氏の流れに三浦一族、和田一族がいる。一族滅亡という悲劇に遭うのだが、一族内の結束は固かった。

と、ここまで書いて来て、そんなこんなも含めて、やっぱり”血”だろ、”血”のなせる技だろうと思ったりするのだけれど、よくよく考えてみるに、人はお父さんとお母さんから生まれるから、一世代下るごとに”血”は半分に薄まる。孫ぐらいまでは一定の形質を保つだろうが、10世代も20世代も下ると、源氏も平氏も関係ないんじゃないのと思えて来る。10世代ということは2の10乗だから”血”は1024分の1に薄まるし、20世代だと2の20乗だから、”血”はほぼ百万分の1まで薄まってしまう。よっぽどの形質の先祖返りでもない限り、10世代前の誰誰にそっくりとか、再来とかははないということになる。

もちろん、これは遺伝子のフリー・フォールと言うか、異なる遺伝子同士が自由に結合し分化した場合の話で、限られた地域で暮らして来た人々の場合には、分化した遺伝子が再び圧縮されることもあったのだろう。

さてさて、10世代、20世代後と”血”は薄まって行くが、歴史の時々で必死で生きた人々は、そんな時間軸では生きておらず、やはり脅迫観念のように敵の”血”を怖れて、子供や孫まで執拗に殺したんだろうね。
例外的に、平治の乱の後、平清盛は源頼朝を殺さずに伊豆に流した。これを清盛の大失策という人もいる。一方、助けられた頼朝は執拗に平家狩りを行った。平家、というよりは平清盛の血筋や縁の者を根絶やしにしようとしたわけだ。

この追っ手というのはかなりしつこかったらしく、山里に逃げ込んだ落人まで追い掛けたと言われる。今でも全国に追っ手から逃げ切った平家の落人部落があるらしいけれど、不思議なのは平家の一門なら分かるけれど、郎党や家人(けにん)までなんで一緒に逃げ隠れするんだろうと、現代の感覚だと思ってしまう。現代ならユニフォームを脱ぐように、今日から平家方辞めた、お暇しますで済むのだろうが、当時の常識では最後まで主人に従ったし、簡単に旗を降ろさなかったのだろうね。これは”血”とは関係のない、人間の想いの部分だ。

今年も日本全国色々な場所に行ってみるけれど、一つのテーマとしてそれぞれの土地の平家の落人部落と呼ばれている場所に立ち寄ってみたいと思っている。

WIKIで全国の平家の落人部落とか、平家の里とかを調べてみた。清盛の息子や孫達は段の裏でほとんど死んだはずだから、こんなにたくさんの平家の里に、そうそう清盛の末裔が住んでいたとは思えないのだけれど。

平清盛の息子達は、重盛、基盛、宗盛、知盛、重衡、知度、清房の七人だ。そして重盛には維盛、資盛、清経、有盛、師盛、忠房、宗実 という息子達がいた。そして維盛には高清、資盛には覚盛という息子がいた。また、基盛の子が行盛で、宗盛の子が清宗、能宗、宗親であり、知盛の子が知章、知忠、知宗だ。

また、清盛の異母弟に、家盛、経盛、教盛、頼盛、忠度らがいる。

因みに平家の男系はほとんど途絶えたと思われるが、女系で言えば清盛の”血”は天皇家に引き継がれたらしい。清盛には安徳天皇を生んだ徳子以外に佑姫という娘がいたが、この佑姫は藤原隆房と結婚して、二人の間に生まれたのが藤原隆衡だ。そして隆衡の娘が北山の准后と呼ばれることとなる藤原貞子だ。貞子は西園寺家の藤原実氏と結婚し、そして実氏と貞子の間に産まれた娘、(女吉)子は後嵯峨天皇の後宮に入って中宮となり、後深草天皇と亀山天皇の母となった。




これは平敦盛、平家一門ではあるが清盛の子ではなく平経盛の子だ。


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何もない一日 2012年01月30日(月)
皆は昨日ツーリングに出掛けた。参加しようかどうか、最後まで迷ったけれど家に居ることにした。風邪を完全に治してしまうべきだ。それに退院した父親のことが気になるので遠出する気持にもならない。

本を読むのにも飽きたので、近くのホームセンターに行ってあれやこれや買い込んで来て、家の掃除を始めた。偶にホームセンターに行くと、結構な優れものがあって使ってみたくなる。

一つはオレンジから作った洗剤。スプレー式で書斎の壁に吹きつけると煙草の脂が面白いように浮いて来る。(我が家で室内で煙草の吸える唯一の場所だ。 と言っても酔っぱらったりしたら居間でも食堂でも僕は吸ってしまうが。 ) 後は拭き取って水拭きをする。

一つはダイヤモンドパッド。スポンジの上に人口ダイヤモンドを使用した研磨素材が貼り付けてある。みかけは小さなカステラのようだ。水を付けてガラスや鏡を磨くと、クレンザーや研磨剤で落とせなかった汚れが面白いように取れる。バイクのエンジン回りとか足回りにも使えそうだ。研磨剤のベタベタに飽き飽きしていたので、とても新鮮な感じがする。

掃除して気が付いた。家の中に飾ってあるバイクの写真って3年前から替えていない。BANDITやV45 MAGNAの写真が飾ってあるままだ。思い切って替えてみた。







書斎やホール、寝室。フォトフレームを飾った場所に”スターゲート”が出来て、何時でもあちら側に行けそうな感じがする。


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OUTRIDER 2012年01月26日(木)
インフルエンザで二日間寝込んでいた。正確には一日寝込んでいて、二日目は熱も下がってベッドの上でぼんやりしたり、書斎で気になる仕事のメールに目を通しては、また眠りに就いた。

そうこうしている間に、入院していた両親の内まず母が退院し、翌日父が退院して来た。結局、僕が眠っている間に姉やかみさんが全部段取りをしてくれたようだ。僕はつくづく頼りにならない息子だ。
或いは親子で仲が良過ぎるのか。 
しかし、まあ、母は、父を入院させる時もかなり無理矢理だったが、
自分が戻って来てからの父の退院のさせ方もかなり強引だったと聞いた。なんか父は母のペットのようだな、と思った。

そう言う僕も、発熱した一日目は元気が無くて、かみさんにペットのように面倒を見て貰っていた。

今朝はまだ少しフラフラしながら出社したが、会社で働いている間に元気になった。

早目に帰宅した。まだタミフルを飲んでいるので、酒は当然飲まない。書店に寄って本を何冊か買った。一冊はバイク雑誌「OUTRIDER TOURING MAGAZINE」だ。この雑誌に特別な思い入れがあるわけでもないし、何か気になる記事があったわけではない。手頃なバイク雑誌を手に入れて、頁を捲りながら眠りに着こうと思っただけだ。

"OUTRIDER"って、バイク雑誌の名前としてはとても変な名前だなと思う。

1 (車の前後または両側の,オートバイまたは馬に乗った)護衛,先導警察官
2 乗馬従者
3 先駆, 前駆, 露払い, 御前


が"OUTRIDER"の意味だけれど、ツーリングにいざなってくれる前駆者ぐらいの意味か。

だからお前はしらふの時は少し皮肉ぽくっていかんと、珈琲カップを置いて頁を開いたら、挿んであった特別付録がぽろっと落ちた。



マルチパーパス・ヘッドウェアだそうだ。ネックウォーマーにも、ヘッドバンドにも、キャップにも、リストバンドにも、マスクにもなるそうだ。そして僕のお気に入りの雷神、風神の絵が描いてあった。


何だか、とても使いたくなって来たぞ。今週末は大人しく家で休養していようと思っていたが、急にツーリングに出掛けたくなって来た。


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どこまで本気で塗るかな 2012年01月22日(日)
体調がすぐれないと思っていたら、単なる風邪だったようだ。熱を測ったら39度ある。

それでは夕方に地元の火鍋屋「三彩居」に集合と家族と決めた後、野暮用で一人で外出したのだが、歩いている間にしんどくなって来た。午前中までは単に元気がないだけだったのだけれど、健康管理が出来ないのは頭の悪い証拠だ。

午前中は、かみさんに言われて家の裏に防犯用の砂利(踏むと大きな音が出る。)を敷き詰めた後、ガレージに籠り”銀次郎”と”ポニー”を磨いていた。注文していた”銀次郎”用のプラスチックスクリューが届いたので、スクリューの交換ついでに二台をピカピカに磨くことにした。



一個一個袋に入っているのは如何なものか。



ウィンドシールドを外して、折れたスクリューを丁寧に取り出す。短気を起こして力任せに引っ張るとナット部が取れてしまったり、碌な事はない。


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医食同源 2012年01月22日(日)
金曜日の晩は遅くまで残業して帰宅したので、夕食を食べずにちょっとしたつまみとナイトキャップだけで寝てしまった。

昨日の朝起きて、本当に食べるの?と訊かれたが、一昨日の晩に食べるはずだったステーキを焼いて貰って食べた。その後また昏々と眠り、昼過ぎに目が覚めた。どうせ雨だし、雨でなくてもとても寒い。

正直、元気がまったくない。

毎年、この位の時期に疲れが出る。春の一歩手前というタイミングだ。太陽暦の正確さは好きだが、これは人間が自然を対抗し制する為につくった暦であって、1月1日は天体の運行や季節の節目から見て何の意味もない。一方の太陰暦は自然暦であり、その1月1日にも深い意味がある気がする。動植物の命のリズムやサイクルとも密接に繋がっているように思える。

中国は春節休みに入った。今年の春節は1月23日だ。僕も23日からは元気になろうと思うのだが、なんとなく身体に力が入らない。まして今年は1月24日から4月14日まで火星の逆行期で憂鬱だ。火星の逆行期は皆の感情が昂ぶり、論争、紛争など衝動的な行動に走り易い。過去の戦争も火星の逆行期の後半か、逆行期が終わった直後に起きている。(戦争が起きてしまったのは結果だから、その前の火星の逆行期に皆が戦争に向かって突き進んだということだ。) 春節だというのに、なんだか不安で落ち着かない日々だ。


逆行期 1775. 1.15-1775. 4. 6  
1775. 4.19 アメリカ独立戦争

逆行期 1913.11.27-1914. 2.13  
1914. 7.28 第一次世界大戦

逆行期 1937. 4.14-1937. 6.27  
1937. 7. 7 日華事変

逆行期 1939. 6.22-1939. 8.24  
1939. 9. 1 第二次世界大戦
 
逆行期 1941. 9. 6-1941.11.10  
1941.12. 8 太平洋戦争

逆行期 1948. 1. 8-1948. 3.30  
1948. 5.15 第一次中東戦争

逆行期 1950. 2.12-1950. 5. 4   
1950. 6.25 朝鮮戦争

逆行期 1956. 8.10-1956.10.10  
1956.10.29 第二次中東戦争

逆行期 1990.10.21-1991. 1. 2  
1991. 1.17 湾岸戦争




2003年の場合は逆行期が8月1日から10月1日だったけれど、イラク戦争が起きたのはもっと前の3月20日だった。


何にもなければいいのだけれどね。アメリカが中東に覇権を持っている間に、イスラエルがイランに戦争を仕掛けるかも知れない。


話が逸れた。  戦争の話なんかがしたかったのではない。どうやったら元気になるだろうという話をしたかった。

春節休みが明けて暫くしたら、久し振りに中国に出張だ。出張時に麻辣火鍋にありつける。

あれを食べるととても元気になるのだ。

日本料理の、ダシと塩、みりん、砂糖、醤油で仕上げるあっさりとした料理も良いが、元気のない身体には、ふんだんに香辛料を使った中華鍋がいい。ビタミン剤なんか服用するより、医食同源だ。

ニンニク、生姜、唐辛子、花椒(山椒)に加えて、クコ、ウコン(ターメリック)、草果、良姜(いずれもショウガ科の植物)、棗、龍眼、当帰、クミン(いずれもセリ科の植物)、党参、桂皮(シナモン)、八角(スターアニス)とたっぷりのスパイスで身体はとても元気になるはずだ。身体が元気になったら心も元気になって、争いごとなんて起こす気はなくなるはずだ。


でも、それまでパワーが続かないかも知れない。今週、誰かを誘って都内の火鍋屋さんに行こうかな。「天香回味」では辛さが足りないし、赤坂の「火鍋屋」は行き過ぎて飽きた。

渋谷の「小肥羊」か、池袋の「蘭蘭 麻辣火鍋館」あたりかな。



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