愛車 FZ1とDYNA LOW RIDERで過ごす週末を
おやじが綴る日記です


過ぎ去って行く季節に
打ち寄せる月日に
そして
愛すべき
戦士と 僧侶と 画家たちに
この物語を捧げます



















おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなすものは 心なりけり

 
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鞍馬寺 / 2012年05月12日(土)
ツーリング二日目の朝、雨は降っていないが空は曇っていた。皆と朝食を済ませると僕は皆より一足先にホテルを出た。

かみさんと京都駅で待ち合わせていた。カバーをしているとは言え、ヘルメットを持ってライディングジャケットを着ての公共交通機関での移動は恥ずかしかったらしい。若い頃ならいざ知らず、彼女も二人の大学生の母親だ。

駅前の京都タワーの下でかみさんを拾い上げた。LOW RIDERのシートに座って、やっと自分の服装の居心地の悪さを解消した感じだ。

皆は京都市内観光をするらしかったが、僕らは京都市内の観光はしない。鞍馬から花背、広河原を走り琵琶湖に抜けて、その後琵琶湖を時計周りに、息子の住んでいる南草津までのんびり観光をしながら辿り着くつもりでいた。夕方に焼肉屋で三人で食事をすることになっていた。

天気が不安定だったので、湖北の山がちな方面に行くと雨に打たれそうだから、平たい琵琶湖の周辺のみ走っていても良かったのだが、今回のツーリングの目的の一つに我が家のご先祖さまの出身地である花背別所町への訪問があった。700年近くも前の話らしいが。

市内観光はしないとは言ったが、東山の銀閣寺だけには立ち寄ろうかと近くまで行ったが、人の多さにめげてそのまま北をめざした。途中、京都大学の横を通った時、息子の大学、こっちの方が良かったのにねとかみさんと笑っていたが、まあ、あんまり勉強が好きな奴じゃないし、関関同立の一つにに入って無事卒業出来れば御の字だと思う。

国道367号線を北上し、鞍馬街道に入った辺りから雨が降り出した。



鞍馬寺に着いた頃には本降りになっていた。


この後、この日は晴れたり降ったりの一日となり、ツーリングのコース取りも大きく影響を受けて、こんな風になった。



琵琶湖周遊は出来なかった。その代わりに今度は間違えずに近江大橋ではなく琵琶湖大橋を渡った。

本当は鞍馬寺は軽く訪問して、花背の里まで急ぎたかったのだが、何せ雨だ。振り向くとかみさんの口が波型 〜 になっている。これはやばい兆候だ。



まずは仁王門参道脇のお店「雍州路」の前にLOW RIDERを停めて、温かい珈琲を頼んだ。



わらび餅なんかも注文してみる。


iPhoneで息子にメールを送っている。父さんに酷い仕打ちを受けてみたいなメールを入れられたらどうしよう。

身体が温まって来たので、かみさんの機嫌がだんだん良くなる。わらび餅の上に載っている黄粉の塊を最初アイスクリームだと思ったとか、一緒に来たお茶の口当たりが良かったようで、これは何というお茶ですかとお店の人に訊いている。
「ほうじ番茶です。」という返事が返って来て、顔がへのへのもへじ顔になっていた。関東ではほうじ茶に使われる茶は番茶と決まっているので、わざわざほうじ番茶という言い方はしない。京都ではほうじ茶飲用の習慣が深く根付いている為、色々なほうじ茶があるんだろう。煎茶のほうじ茶、ほうじ煎茶もあるらしい。

機嫌が良くなったところで、お店で傘を借りて鞍馬寺、由岐神社を散策した。




雨なのでケーブルカーに乗って、多宝塔前の山門駅まで行く。200m、2分で山門駅まで到着する。ここから本殿までは暫く歩く。



本殿金堂前の階段は甘くはない。



本殿金堂前から光明寝殿の屋根越しに竜王岳方面を望む。


本殿金堂の写真を撮るのを忘れた。鞍馬寺の縁起は二説ある。以下はWIKIからの抜粋だ。

延暦15年(796年)、藤原南家の出身で造東寺長官を務めた藤原伊勢人という人物が毘沙門天王千手観世音菩薩を安置して創建したとされている。しかし、寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起』(あんばがいじえんぎ)には別の草創縁起を伝えており、鑑真の高弟鑑禎(がんてい)が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天王を安置したのが始まりという。

その後、千手観世音菩薩毘沙門天王は皆の呼名が違うだけで実は元々一つなのだという説になる。神道の和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)みたいな概念だ。

その後に今度は護法魔王尊が加わる。護法魔王尊は、650万年前金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年を取ることのない永遠の存在であるという。

そんなこんなで、この寺の本尊は独特で護法魔王尊千手観世音菩薩毘沙門天王の三身を一体として尊天と称し、これを本尊としている。なんだかキリスト教の三位一体に繋がるような話だ。本殿金堂内には中央に毘沙門天王、向かって右に千手観世音菩薩、左には護法魔王尊が安置されている。

なお、鞍馬寺の歴史的な記述は下記となる。

9世紀末の寛平年間(889年 - 897年)東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となるが、12世紀には天台宗に改宗し、以後の鞍馬寺は長く青蓮院の支配下にあった。寛治5年(1091年)には白河上皇が参詣、承徳3年(1099年)には関白藤原師通が参詣するなど、平安時代後期には広く信仰を集めていたようである。『枕草子』は「近うて遠きもの」の例として鞍馬寺の九十九(つづら)折りの参道を挙げている。

鞍馬寺は大治元年(1126年)の火災をはじめとして、たびたび焼失している。江戸時代の文化9年(1812年)には一山炎上する大火災があり、近代に入って1945年(昭和20年)にも本殿などが焼失している。このため、堂宇はいずれも新しいものだが、仏像などの文化財は豊富に伝えられている。

昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、1947年に鞍馬弘教を開宗。1949年には天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となっている。




本殿を護るのは狛犬ではなく狛虎だ。



参道を下り、九十九折参道を下って由岐神社方面に向かう。


鞍馬寺と言ったら、最近はパワースポットとしても有名だが、牛若丸(源義経)が7歳から10年間過ごした場所として有名だ。10年間もパワースポットで過ごしたから、源義経はあんなにパワフルだったのかと、勝手に納得してみる。



義経公供養塔(東光坊跡)


裏側から来たので、気が付かない間に由岐神社の境内に入ってしまったようだ。由岐神社自体は940年に鞍馬寺が御所から鎮守社として勧請したものだが、一緒に来たのか、歴史の中で増えて来たのか、冠者社、岩上社、白長弁天社、三宝荒神社とたくさんの末社があった。



中でも異色なのは大杉社、大杉自体がご神体となっている。


拝殿の間から見える大杉を撮ろうと思ったら、かみさんが脇から登場。



機嫌は完璧に直っている。


入山の時に貰った鞍馬山のしおりには
鞍馬山は、毎日を明るく正しく元気よく積極的に行きぬくための活力を、本尊である尊天からいただくための道場である。本来、いつでもどこでも存在する尊天の活力が、特にこの鞍馬山には満ち満ちているからである。
とあるのだけれど、欧米の一神教と異なり、この山は仏教、神道なんでもありの世界だ。



九十九折参道を下る途中には、双福苑という場所があり谷を挟んで左右に大黒天と恵比須が祀ってあった。


簡単に七福神の一部が祀られていると捉えるのか、大黒天を大国主命、恵比須を事代主として捉えるかで、なぜこれらのお社がこの鞍馬山にあるのかの解釈も変わって来るのだろうね。

いつの間にか雨が上がった。僕らは元気になって次の目的地である花背の里をめざしてエンジンに火を入れた。

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