私は父(社長)と母(専務)と2つ上の姉と祖母との5人家族、
私の祖父は私が出生した3週間後に亡くなり、私が成人して
姉が結婚するまでの22年間、5人で共に生活しておりました。
私の父は大学を卒業後母と結婚し、当時
マツダオート富山に
就職した後、私が5歳の時、脱サラして現在の「カーセンター
ハシバ」を高岡市の西藤平蔵に設立しました。
会社と自宅は5分ほど移動した場所にあり、母も当然私達子供
の面倒をみましたが、両親と社員1名のプレハブ小屋の風が
吹けばフッとぶ同族会社だった、余裕も無く毎日深夜近くまで
仕事をしていたため、物心がついた私と姉の幼少時代は祖母に
育てられたようなものでした。
当時子供の私の思いでは「とてもうるさいおばあちゃん」でした。
学校から帰ってくると「手を洗いなさい」「勉強しなさい」「ご飯
食べなさい」「お風呂入りなさい」「早く寝なさい」を連呼連呼で
言われていました。友達を連れてきても「もう遅いから早く帰り
なさい」と15分おきに部屋を監視しにきました。
一番覚えているのが、小学校高学年だったかな?友達2人と
自分の自宅でカレーライスを作ろうということになり、食料を
買ってきて台所でガスや炊飯器など使っていたら、「やめなさい」
「帰りなさい」と怒鳴られました(当然ですけど)。ただせっかく
準備したものが無駄になるのもイヤだったので、無視して続行
していたら、再び現れ台所イスを持ち「帰られゆうてるのに
わからんがけ〜

」と暴れ始めました。さすがにビビってしまい
友達は帰ってしまいました。
(続く)