毎日新聞のコラムより
聖書でイエスが語っているたとえ話の中でも『放蕩(ほうとう)息子の帰還』は、印象深い話の一つだ。二人の息子の弟の方が父親に財産分与を求め、受け取ると家を出て遠い国で放蕩三昧(ざんまい)の暮らしをしてお金を使い果たす。尾羽打ち枯らして家に戻った時のことである。自分を雇ってほしいという弟に、父は怒るどころか最上の服を与えて家族として迎え、祝宴を開いた。怒ったのは地道に親孝行をしてきた兄で、父の不公平に抗議する。父親はいう。「子よ、弟は死んでいたのに生き返った。祝宴を開くのは当たり前だ」
このたとえ話では、弟は悔い改めた罪人(つみびと)、父はその罪人を赦(ゆる)す神、兄は偽善者をそれぞれ表すという。俗世の常識ではまじめな兄に肩入れしたくもなるが、そこを逆転してみせるのがこの世の秩序を超えたところで人の魂を救う宗教というものだろう。
との事。コレを読んで、非常に非常に不愉快な気分になった。『正直者がバカを見る』とはこのこと。聖書っていう世界でいちばん売れている書物は、こういう事を書いていて、こういう教えのモトに何百何千何万っていう信者がいるなんて、、、まさにアンビリバボーだよ。やっぱり到底理解不能な世界。
そして最後の2行で筆者は、
「俗世の常識ではまじめな兄に肩入れしたくもなるが、そこを逆転してみせるのがこの世の秩序を超えたところで人の魂を救う宗教というものだろう。」
と書いているけど、そんな筆者も私もみんな、暮らしているのは俗世でありこの世なのだ。逆転していいもんといかんもんがあるし、秩序を超えたらいかんがね、と思ってしまった。
聖書では
弟→悔い改めた罪人(つみびと)
父→その罪人を赦(ゆる)す神
兄→偽善者という配役
と位置づけているようだけど、、私なら
弟→根っからの罪人(死なな治らん)
父→ただの親バカ(つける薬はない)
兄→バカ真面目(性分なので仕方がない)
と位置づけるね。
そして人の魂を救うのは、結局は人なのだと思う。 |