そろそろ、“夏映画”のラインナップが揃ってきた。今夏目玉の一番は「インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国」だろう。
S氏は公式公開日(6月21日)の一週間前に、近くのシネコンで先行ロードショーをやっていたので、早速息子と見に行った。19年ぶりの第4作目ということで、シリーズの特徴である冒険活劇シーンがふんだんにと入れられ、古代遺跡の謎解きも当然のことながらスリリング。主演のハリソン・
フォードも65歳になってしまったが、画面では堂々のアクションを披露しているので、安心して楽しめる娯楽作に仕上がっている。
そして、夏休み前公開で今夏の注目作と思われるものは宮崎 駿監督のアニメ「崖の上のポニョ」だろう。宮崎監督自身の作品としては「ハウルの動く城」以来4年ぶりの新作となる。公開前の徹底した情報非公開主義で、最近になってやっとTVの情報番組等で断片的な映像が流れているが、ストーリー自体は明かされていない。ただ感触としては、北欧の童話として有名な「人魚姫」がベースになっているようにも思えるが、どうなるだろうか、楽しみなところだ。
スタジオ・ジブリ(=宮崎監督)という図式は、極一般的なものだと思うが、宮崎監督が制作の陣頭指揮を行わない作品もスタンダードにリリースされていて、“ジブリ・ブランド”と呼べるものを確立しているところがすごい。「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」の高畑監督もそうだし、「猫の恩返し」の森田監督などがそうだ。作品の出来は当然良いが、それ以上に“ジブリ・ブランド”が効いている。
今回の「ポニョ」の前に、2006年に「ゲド戦記」を監督したのが宮崎監督の長男である宮崎吾郎氏。もともとは建築を学び、三鷹にある「三鷹の森 ジブリ美術館」の館長をつとめていたが、プロデューサーの鈴木氏から監督推薦で「ゲド戦記」を監督したのは有名な話だ。
S氏は、ジブリ・アニメで「ゲド戦記」が映画化されるというニュースを聞いたとき少し驚いた。2006年は、それまでのハリー・ポッター・シリーズや指輪物語の完結、ナルニア国物語など、海外の著名なファンタジーの映画化が目白押しだった。それまでのジブリ・アニメには、これらの著名作品の少なからぬ影響が見てとれたし、宮崎(駿)監督自身、昔は自分の映画として作ることを何度か原作者のル・グインにオファーしたようであるが、それを息子が監督するとは思わなかったからだ。また、原作を良く知る者としてアニメとういジャンルでこの物語を映像化するのは大変な作業だろうとも思った。実際できあがった作品は、興行収入の面では成功したようだが、それ自体の評価となると色々なところで論議を呼んだそうだ。
世界の3大ファンタジーとは、「指輪物語」(トルーキン)「ナルニア国物語」(ルイス)そして「ゲド戦記」(ル・グイン)で、あると思う。「ゲド戦記」の日本語版が出版されたのは1976年ということだから、もう30年以上前となる(オリジナルは1968年)。以来、日本では2004年までに6冊のシリーズが発刊されている(全て岩波書店刊)。
S氏が最初のゲド戦記「影との戦い(A Wizard Of Earthsea)」を読んだのは、もう
20年以上前のことだ。アニメのベースになったのは3巻目となる「さいはての島へ」だが、シリーズの中ではやはりこの「影との戦い」が最も好きだ。簡単にストーリーを紹介しよう。
舞台はアーキペラゴ・アースシーという多島海世界で、ここでは「真の名前」で自然界の事象をあやつる魔法使いの集団がいる。この世界のある島に住む少年ハイタカ(=ゲド)は、魔法使い“沈黙のオジオン”にその才能を見出され、ローク島にある魔法学校で修行することとなる。類まれな才能で、魔法学校始まって以来の高い能力を発揮しだすハイタカだったが、ある時禁じられた魔法に手を出し「影」を呼び出してしまう。以来「影」は彼についてまわり、彼の存在を脅かすようになる。師匠オジオンの言葉に従い、自ら「影」と対峙することを選び、多島海世界の深遠まで旅をすることとなる。
「ゲド戦記」は「戦記」という邦題がついているが、戦闘シーンなどほとんど無い。この世界は、地球の縮図として描きだされ、「魔法は科学」「魔法使いは、科学を使う技術者・科学者」と読み取ることができる。現代に通じる環境問題を論じる部分あったり、人間の内面に深く入り込む心理小説的な部分もある。およそ、はでな“魔法合戦”とは遠い物語である。ル・グイン(女性です)は、もともと60年代の中盤からSF作家として創作活動を始めた人で、「闇の右手」「天のろくろ」「所有せざる人々」など傑作と呼ばれる作品を輩出している。ル・グインの作品には常に“性を超越”した人類のあるべき姿や女性特有の優しさ(逆に厳しさも)があふれている。
さて、「影との戦い」は最終的にどうなるのか。「影」とは、奢り・ねたみ・嫉みを持ちこれを呼び出したハイタカ(=ゲド)自身のことで、世界の果てまで追いつめた時、それに気づいた彼は正しい「影の名(=ゲド)」を叫び、これと一体となる。我々は常に「影」を持っている。この「影」の存在を正しく認識することが重要だと作者は言っているのかも知れない。
では、我々バイク乗りの「影」とは何だろう?
・バイクは早く走れる=スピードは命。ワィンディングを誰よりも早く走りたい。
・バイクは機動性に富む=遅い車は邪魔である。すり抜けてしまえ。
・バイクに乗る姿はカッコいい=所詮自己の世界、バイクに乗らない者には理解できない。
・仲間と集団で
ツーリング=傍から見れば、集団で走る姿は“族”も“正統派”もあまり変わりはないかも。
・心に沁みるエキゾースト(排気音)で、ついつい空ぶかし=知らない人にとっては、ただの騒音。
以上全て
S氏が今までやってきたことだ。
「影」は、知らずに自分の中にいる。これは充分認識しているつもりだが、まだまだ「修行」が足りないようだ。