錆びつかない魂を、走ることで

 
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たった一人のバイク乗りーThe end of summer― 2012年01月06日(金)
「週末、バイトが終わったら、海に行かないか?」

バイト仲間のMが、誘ってきたのは閉店の15分程前だった。
ヤツは、最近中古のサニー・カルフォルニアを手に入れ、以前自慢げに店に乗りつけてきた。カーステレオから派手なオールディズ・ミュージクを響かせていた。それは、モンキーズの曲・・・。

大学3年の夏ももう終わりに近かったが、毎夜熱帯夜が続いていた。来年は、就職活動で夏休みどころの話しではないだろう。俺は二つ返事で答えた。海に行くのも久しぶりのことだった。

コイツが言うには、知り合いの女の子3人からOKを貰っているとのこと。
「バランスを取って、もう一人誘ってくれ。」とのことだった。

車は5人乗りなので、もう一人と言うことになれば、俺はバイクで行くと告げた。
その時、俺の頭に浮かんだのは、アイツの顔だった。このことを話したら、アイツもバイクで行くかも知れないと思った。

店が終わり家に戻って電話したのが、12時近く。“そんな遅くに”と思うかもしれないが、いつものことだった。短い呼び出し音で、受話器を取ったのは、意外なことにアイツの父親だった。

「久しぶり・じゃ・・ないか。」
少しロレツの回らない口調で、親父は言った。

「どうだい、あのバイク、調子いいかい?」
必要以上に大きな声だった。この親父が営むバイク屋から、中古のバイクを買ったのは半年前のことだ。

「ええっ、ぜんぜん問題ないですよ。・・・今度オイル換えに行きますよ。」

「そうかい、そうかい。チョッと待ってな。」

受話器を置く音がして、アイツを呼ぶ声がした。階段をトントンと降りる音の後、無愛想なアイツの声が聞えた。俺は手短に用件を伝え、最後に「どうする? 行くか?」と言うと。
「ああっ、いいぜ。」と答えた。
俺は、少しホッとした。“カリフォルニア野郎”は悪い男ではないが、幼馴染みの方が何かと安心だった。

「そうか、やっぱ、バイクで行くか?」

「ああっ、そうする。」

「一緒に走るは、久しぶりだな。」

「ああっ。」
意外にそっけない返事だった。

「じゃあ、土曜の10時、店の前で待ってるよ。」

「分かった。」
静かな口調だった。女がらみだと、もっとハシャグかと思ったが、そうでもないのか。
俺は、ゆっくりと受話器を置いた。


3日後、土曜の夜、俺は店の裏手からバイクを引っ張りだした。“カリフォルニア野郎”は表通りに車を停めて、リア・ゲートから荷物を積んでいた。これから混雑を避け、夜の道を海まで走る。着いたら、夜明けまで海岸で寝るなりして過ごし、午前中海水浴を楽しんだ後、昼前には帰路につくというのが、Mのたてたプランだった。これならば、渋滞にはまることもない。もっとも俺とアイツはバイクなので、あまり関係ないが、暑い日中を少しでも走らないのはよい。いつの間にか女の子が3人、Mの傍に立っていて何やら話していた。すると、その3人が俺の方を見て、軽く会釈した。

初対面なので、どうということはないが“カリフォルニア野郎”は、戻った後の“夜のプラン”まで考えているようだった。その中の一人が俺に話しかけて来た。小柄だったが、目鼻立ちがハッキリとした中々可愛らしい顔立ちで、腰まで届くロングヘアーが印象的だった。

「これっ、あなたのバイク?」
彼女は、俺のバイクを見て言った。

「ああっ、そうだよ。」

「SのGSX・・・。400ccもあるんだ。大きい。速そうね。」
エンブレムが目にとまったようだ。

「まずまずさ。・・・ところで皆、学生なのかい?」

「ええっ、私と彼女は短大。もう一人は働いてる。皆、高校の同級生なの。あなた学生?」

「大学の3年。でも1年ダブってるけどね。」

「いつ?」

「・・・1年の時。」

それを聞いて彼女は、「うそっ、珍しい」と言って、ケラケラと笑った。

聞き覚えのある集合マフラーの音が響いて、アイツのCBX(400F)がやってきた。俺のGSXの横に停まると、アクセルを一度だけ軽く吹かしエンジンを切った。

「よおっ、早かったな。」
ヤツはフルフェイスのヘルメットを取ると無愛想な表情で、こちらを見た。

「・・・まあな。」

「・・・こんばんは、今日は、よろしくね。」
俺の隣にいた彼女は、そう言うと他の二人のところに戻って行った。長い髪がわずかになびいて、柑橘系の香りがした。

「おやおや、もう仲良くなったのか。」

「そんなんじゃないさ。むこうから話しかけて来たのさ。」

「なかなか可愛いじゃねえか。・・・でも俺の好みは、あのショート・カットの方だな。」

三人の女の子は、短めのキュロット・スカートにTシャツという皆同じような恰好をしていたが、髪型は違っていた。俺に話しかけてきたストレートのロングヘアーとヤツが “好みだ” と言ったショートボブの子、そしてもう一人は肩までの長さで軽くウェーブがかかっていた。背丈も同じくらいだが、ショートの子が他の二人よりいくぶん高かった。

俺とヤツとは、まだよちよち歩きの頃からの幼馴染み。小学校・中学までは一緒で、その頃より女には目が無かった。しかも良く“もてた”。ルックスが良いというより、話しが上手く話題が豊富だった。ヤツの親父やお袋のことも良く知っているが、父親に似ていると感じていた。

「ところでな。・・・俺、明日は、早目に帰るかもしれないから、よろしくな・・・。」

「どうした?・・・珍しいな。お前がそんな事を言うなんて。どっか具合でも悪いのか?」
俺は、少しちゃかすように言った。

「いやっ、・・・そんなんじゃないさ。」
視線が上を向いた。その先に半分欠けた明るい月が浮かんでいた。

それから11時前に走り出し、すぐに首都高にのった。環状線から湾岸線に向かい、千葉方面に走った。さすがにこの時間の湾岸線は、土曜の夜だというのに驚くほど車の数が少ない。カリフォルニアが先行していたが、ほとんど直線の道なのに100km/hにも届いていなかった。俺とアイツのバイクは、交互に前後を入れ替えて、ジャレルような走りをしていた。時折カリフォルニアに近づき、そしてまた離れる。夜風が心持ち涼しくなっていて、スピードを落とすのがイヤだった。黄色の車に近づき、シールド越しに室内を覗くと、女の子達はケラケラと笑っていた。カーステに合わせているのか、口をパクパクさせるMの間抜け面が可笑しかった。

真昼間なら渋滞がひどい穴川付近を通ったのが午前0時前。千葉東金道路に入ると更に交通量は少なくなり、周囲の景色は夜でもそれと分かる程、変わった。高速道を照らす外灯は減ったが、半分だけ欠けた月の光が以外にも明るかった。ジャンクションから終点の東金ICまで20分足らず。そこからしばらく一般道を走り、有料の東金九十九里道路に入った。ここも外灯は少なく、周りは田圃か畑なので、バイクのヘッドライトめがけて小さな虫が激突してくる。シールドに点々と潰れた虫がこびりついたが、気にせず走った。九十九里ICで降りると、すぐ信号待ちとなった。
前に停まったカリフォルニアが右にウィンカーを出していたので、二台並んだ俺達も同じように右のウィンカーを点滅させた。

長い信号だった。アイドリングに交じって波の音がかすかに聞こえ、月明りの中、正面に大きく弓のように湾曲した不思議な形の建物が建っていた。
ようやく信号が青になり、右に折れてすぐの狭い川を渡り、片側一車線の道をそのまま真っすぐ走った。半月が思いのほか明るく、左手が海だということが、すぐに分かった。
3kmほど走ると、カリフォルニアが左にウィンカーを出したので、そのままついて行った。左右に民家が迫る狭い道を200mも行くと、松林に囲まれた広い駐車場があり、車も二台のバイクも停まった。潮の香りが、フルフェイスのシールドに開けた隙間から入って、何となく心地よかった。

周りに停まっている車は数えるほどで、おそらく殆どが俺達のように夜明けを待っているのに違いなかった。カリフォルニア野郎と女の子達は、そのまま駐車場に停めた車の中で寝ることになった。窓を全開にすれば、海風が入ってきて暑さもさほど感じないということだった。
俺とアイツはバイクを駐車場に残し、もっと海の近くで寝ることにした。リアに括り付けたブルーシートを持って歩くと、50mほどで松林を抜け、監視員用の高いやぐらとその先に月明かりに照らされた海が見えた。俺達は、やぐらの前にシートを広げた。

シートは、ごわごわと硬い感じだったが、寝転がると海風が心地よかった。強くも無く弱くも無く吹いて、昼間の暑さを忘れさせた。途中のコンビニで買ったビールをヤツと交互に飲んですぐにでも寝付こうと思ったが、なかなか寝れない。いつのまにか月は、水平線に近いところまで来ており、その分星が輝きを増していた。

俺は昨年の夏、二人で北海道に旅をしたことを思い出した。
夕方バイクをフェリーに積み、太平洋を北上した。船内は、日本全国からのツーリストで一杯だった。気持ちが高ぶっていたのか、その時も眠れず夜の甲板で夜空を眺めた。大型の船体が激しく波をかき分ける音と、低く唸るエンジンの響きが、暗い海に広がっていた。
月は無く、振るような星空だった。天の川が本当に白い流れのように見えた。それを取り囲む星々は、都会のそれより大きく、赤や青、白や黄色と色とりどりに輝き、暗闇の中にある彼方の水平線を丸く浮き上がらせていた。

もちろん、その時に比べれば圧倒的に少ないが、都会で見るよりも遥かに多くの星が目に飛び込んできた。周囲は静かだった、寄せては返す波の音が心地よく、時間が止まったかのような錯覚を感じた。

「起きてるか?」
隣から、小さな声が聞えた。

「ああっ、起きてるよ。」

「・・・そうか。」

「・・・どうした?」

「・・・いやっ、なんでもない・・・。」

ブールーシートがガサガサと音をたてた。隣で上半身を起こし、片膝を立てて座っている姿が消えそうな月明かりに照らされていた。

アイツは、ボソリと言った。
「俺、学校、辞めようと思っているんだ。」

「・・・なんだって?」
俺は、少し驚いた。

私立でマンモス校と言われる大学に通う俺と違い、コイツは国立大の理工系学部に通っていた。高校時は私立の有名校でも狙える偏差値だったと聞いている。そうだ、コイツ昔から頭が良かった。計算は得意で記憶力も抜群、試験の成績は常にトップだった。中学時代のクラスメイトは「そのうち、とてつもない発明・発見をするのでは」と、噂していたほどだった。しかし自身は、そんなことをひけらかすことは無く、あっけらかんとした明るい性格で、誰とでも気軽に付き合っていた。そして、バイクが好きだった。家業がバイク屋だから、当然と言えばそれまでだが、16(歳)になると教習所に通い(当然、学校には無許可だったが)、二輪の中型免許を取って、いろいろなバイクに乗り始めた。


当時“高校生がバイクに乗る”ということは、まだ“不良”と同義語だったが、K社の有名な4気筒400ccモデルで始めて俺の家に来たときは、脳天がハンマーで打ちつけられたかのような衝撃だった。父親から借たと言った革ジャン姿は、随分と“大人”に見えた。俺が、バイクに興味を持ったのは、コイツのおかげだった。
1年遅れで、俺も免許を取った。高校生に高額なバイクを買う金はなかったので、ヤツの親父に頼み込んでH社のオフ・モデルを借りて、二人であちこち走りまわった。

「なんで、大学、辞めるんだ?」
俺は、昔のことを思い出しながら聞いた。

「お袋がね・・・。」

「お袋さんが。」

「ああっ、お袋が言うんだ。・・・最近『父さん、体が弱くなったわね。』ってな。」

「どっか、悪いのか、親父さん?」

「いやっ、ピンピンしてるよ。でもよ、お前も知っての通り、親父は酒飲みなんだ。
好きで、好きで、毎日浴びるように飲む。息子の俺が見てても、ひどいくらい飲むことがある。
以前なんか、閉店した店の中で飲んでいて、そのまま朝まで、そこで寝てたこともあった。
・・・俺やお袋がいくら言っても聞きやしない。『これが、俺のガソリンだ。』なんて、言う始末だ。」

「それだけ、好きなら仕方ないだろう。」

「ああっ、仕事はまともやってから、それだけなんだが、親父は仕事も“手を抜かない”。それどころか、頼まれもしないのに、余計なとこまでやってしまう。」

「俺のような金の無いお客には、助かってるよ。」

「そんなことを繰り返してたら、うちがもたなくなるのは目に見えてる。」

「親父さん、それだけバイクが好きなのさ。」

「ああっ確かに、親父はバイクが好きさ。好きが高じてバイク屋なった。親父がまだ小学生だったころ、親父の親父、つまり俺の祖父さんもイギリス製のバイクに乗っていたそうだ。その音を聞いた時『震えが来た』って、親父は言ってるよ。
戦争が終わって何年も経っていない頃で、その当時はバイクなんか高価で、家が一軒買えるほどだったそうだ。つまり贅沢品さ。贅沢が過ぎて、祖父さんは家の金を食いつぶした。おかげで親父は、中学を卒業すると高校に行かず、すぐに働くことになった。最初は小さな町工場で、旋盤機をいじってたそうだ。その後何回か仕事を変えて、最後にたどり着いたのは、小さなバイク屋だった。
バイクの仕事は、やっぱり楽しくて、必死で整備を覚えた。二十歳(はたち)の時にお袋と知り合って、次の年結婚した。勢いで一緒になったが、親父の稼ぎだけでは食えなくて、お袋も働いた。5年経ってやっと独立して自分の店をもった。そして俺が生まれた。
店を持ったはいいが、親父のあの性格だ。最初儲けは、あまり出なかったそうだ。もちろん、今でもそうさ・・。
借金も何度かした。今になって、馴染みの客が増え、なんとかやっているが、儲けがでないのは、あまり変わっていないらしい。」
深い、ため息が聞えた。

「ただ、お袋も、ここまで苦労した店だ。愛着もある。何とか続けたいと思ってる。それが、それが・・・良く分かる。しかも俺は贅沢にも、大学に行かせてもらってる。」

「親父さんもお袋さんも、お前のことを自慢してるよ。口には出さないが、“学”の無い親が、子供にだけは何とかしてやりたいという気持ちだよ。俺が言うと口はばったく聞えるかもしれないが、それは、素直に受け取っていいと思うがね。」
自分のことを省みれば、俺は何と“贅沢”なのだろうか。

「ああっ、それも分かるさ。・・・分かるから辛い。」

「大学辞めて、家を手伝うと言うのか?」

ヤツは、無言だった。俺は続けた。
「お前が大学を卒業して、バイク屋継いでも遅くないだろう。親孝行なんて、いつでも出来るさ。」

「それも考えた。ただ、づるづると大学に行くより、しっかりケジメをつけた方が良い場合もある。
まあっ、・・・そうだな。すまん・・・この話し、忘れてくれ。」
小さな、呟くような声だったが、これ以上続けることを拒否する強い意思を感じた。それは、昔からそうだった。
俺は、仰向けのまま空を見た。漆黒の空間に点々ときらめく星の海の間を短く白い線が走った。線は、明確な明るさを持っていたが、あっという間に消えてしまった。
“流れ星”を見たのは、これが初めてだった。


閉じた瞼の裏側が暑くなって、目が覚めた。周囲は、すでに明るくなり、刺すような太陽の陽射しで満たされていた。砂浜は、どこまでも白く、打ち寄せる波は青かった。時計を見ると、午前7時を示していた。
すぐ横の海の家が、プラッスチックのテーブル・セットを出して開店の準備をしていた。あたりを見回すと、すでにちらほらと海水浴を楽しむ者達がいて、その中に、カリフォルニア野郎と3人の女子達、そしてアイツの姿もあった。

朝飯もそこそこに、海水浴を始めた。気温はぐんぐん上昇し、9時過ぎには30度を超えていた。あっという間にパラソルの花がそこかしこに開いて、白一色だった海岸をカラフルに染め上げた。

海に入るだけで楽しかった。ビキニ姿の女の子達は、誰もが眩しく輝いていた。水を掛け合うだけでも、波打ち際を走り回るだけでも、笑いがこみ上げた。
俺達は、十分に夏を満喫していた。
いい加減に疲れて、砂浜に寝転がった、アイツが居ないことに気付いた。
ふと、後ろを見ると松林から歩いてくる姿が見えた。

「どうした? 疲れたのか。」
俺は、ヤツに声をかけた。それには答えず俺のすぐそばまで来ると、着替えやらの入ったバックを取り上げ、自分の荷物をそこに放り込んだ。

「すまん。ちょっと野暮用ができた。・・・俺、先に帰る。」
そう言うと、バックを抱え急ぎ足で松林に向かって歩き出した。

「おうっ、どうした? 何かあったのか。」
俺は、ヤツの後ろ姿に向かって叫んだ。

それを聞いたヤツは、松林の手前で振り向いて「夕方、電話するよ。」と、言った。
その後、何かを言ったようだが、それは波の音でかき消され、聞き取ることができなかった。

残された俺達は、カリフォルニア野郎の計画通り、昼前に海水浴場を出た。もちろん、駐車場にアイツのバイクはなかった。
東金IC手前のファミレスに入り、昼食をとった。店の窓から、反対側の海に向かう長い車列が見えた。
飯を食い終わると、俺は“一人で帰る”ことを皆に告げて、先に店を出た。

俺は高速には乗らず、国道を走った。逆の車線は何時途切れるともしれない渋滞が続いていたが、俺の向かう方向は“快適”と言えるほどスムーズに流れていた。この辺りはアップダウンの多い山間の一車線道路だが、信号は少ないので千葉市街まで高速と同じくらいの時間で行くことができた。市内は少し混雑していたが、それもたいしたことは無く幕張から湾岸高速にのった。

結局、家にたどり着いたのは午後3時を少し回ったところだった。
親父もお袋も、妹もいなかった。
ガレージにバイクを入れて玄関を上がると、とたんに睡魔に襲われた。そのまま二階な上がり、窓を全開にして扇風機をつける。座布団を二つ折りにして枕代わりにし、畳に寝転んだ。Tシャツの袖口から入り込んだ風が、夏の海で火照った体に心地よかった。
俺は、眠ってしまった。

目が覚めた時、部屋の中は真っ暗だった。
窓の外に、昨日の夜、海岸で見たのと同じ半分の月が出ていた。
階段を下りていくと、居間からTVの音と話し声が聞こえてきた。階段を降り切った時、玄関近くで電話が鳴った。居間からお袋が出てきて「あらっ、起きたの。」と言って、俺の目の前を横切り電話を取った。お袋は、親しげに電話の相手と二言三言、言葉を交わした。
俺は、その様子を黙って見ていた。

「あんたによ。」そう言って、お袋は受話器を俺に差し出した。

耳に当てると、聞き覚えのある声が聞こえた。アイツの声だった。

「よおっ、帰ってたか。・・・先に帰って、すまん。」

「どうした?  昼間は、あわててたようだが。」

「なんでもないさ。いやっ、すまん。・・・実は、お袋が死んだんだ。昨夜な・・・。」


ここまで話すと、俺は二杯目の水割りを飲みほした。
カミさんがグラスを受け取り、冷蔵庫から氷を取り出すと入れて、俺に手渡した。

「そんな話、初めて聞いたわ。」

「俺も、初めて話した。」
俺は、ウィスキーをグラスに注いだ。

「病気だったのさ。俺には話さなかったが、長いこと患っていたらしい。通夜が翌日で、その知らせだった。」

「ふーん。そして彼は学校を辞めて、バイク屋を継いだってわけね。」

「その通り。・・・もう、20年以上前のことさ。・・・今、思うと、それはそれで良かったのかもしれない。」

「どうして、そう思うの?」
カミさんは、自分のグラスにもウィスキーを注ぎ、ソーダ水を入れた。それは、最近の“お気に入り”だった。


「“いや”だったらここまで続かない。人間は“使命感”だけで、物事を決めると長続きはしないものだ。結局、ヤツにはバイク屋が合っていたし、好きだった。それは幸せなことさ。人間はどこかで右か左か決断しなければならない時がある。若い時は決め難い場合もあるが、そんな時何かのきっかけで、それが決まる場合がある。・・・つまり、良く言う“運命”というやつさ。でも、俺に言わせれば“運命”など無い。本人が前から望んでいたことが、少しだけ早まっただけなのさ。」

「そうとも言えるわね。」
その言葉には、少し釈然としない感情が見えた。

「ところで、君はヤツのカミさんのこと、知ってるだろう。」

「ええっ、もちろん。一昨日も電話で話したわ。・・・まさか、まさか、その時の三人の内のひとりなの。」

俺は、ニヤリと笑った。

「ねえっ、誰なの。誰なの。・・・分かった。“ショート・カット”の子ね。彼が“好みだ”と言った。」

「違うよ。最初に俺に話しかけてきたロングヘアーさ。彼女は、バイクが好きで半年後ヤツのところに転がりこんだのさ。」

「そんな話、初めて聞いたわ。」

「俺も、初めて話した。」

三杯目の水割りを“カラ”にすると、酔いが回ってきたのが分かった。






たった一人のバイク乗り−The gift 2011年01月29日(土)
とうとう“ヤッチまった”。以前から気になっていたのだが、こんな時に来るとは運が悪かった。

ここ何日か、はっきりはしない天候が続いていた。季節の変わり目は、精緻な天気予報すらアテにならないことがある。朝の曇天が昼には快晴になり、夕方からまた雨になる。
そんな不安定な空模様が、今朝は一転していた。
薄明かりのリビングでTVをつけると、可愛いお天気キャスターが「本日は、快晴。降水確率0%。」を連呼していた。カミさんも朝から息子と出かける予定が入っていたので、これを逃す手はなかった。

身支度を整えガレージからバイクを押し出し、チョークを引いてスターターボタンを押す。しばらく火を入れていなかったので、長めのセルモーターの回転でエンジンは目覚めた。

行き先は、決まっていた。
以前から目を着けていた場所で、自宅から200kmほどのところだ。人里離れた山奥。観光地化されていないダム湖畔に、上手い蕎麦を食わせる店があるというのを、仲間から聞いていた。
この時期紅葉も終わりに近づいているだろうが、周辺には“美味しいワインディング”もありそうだった。地図とレインウェア(念の為に、いざとなれば防寒にも役立つ)をリアに括りつけ、高速(道路)にのった。

高速は快適だった。
気温はさほど高いとはいえなかったが、ビキニカウルの効果で寒さはあまり感じなかった。むしろ高速を降りて一般道を走ると、革ジャケットをすり抜ける冷たい空気が都会との違いを実感させた。道の先に晩秋を迎え赤や黄色に染まった山々が、雲ひとつ無い青い空に浮かんでいた。標高が高まるにつれ寒気は増したが、ワインディングを責めることに夢中で忘れてしまう。集合管からの排気音が心地よく響き、山間に木霊した。

2時間ほどで目的の蕎麦屋に着いた。県道を外れた最後の4〜5kmは林道をそのまま舗装したような細い道で、落葉間近の木々の間を走った。
着くまでは行きかう車両もまばらだったが、昼前にも関わらず既に数台の乗用車が店の前に停まっており、その全てが県外ナンバーだった。店内の席は、ほぼ埋まっていた。



俺は「盛り」と「蕎麦がき」を注文し、それを十分に楽しんだ。蕎麦は噂どおり、いやっ、それ以上だった。もちろん手打ちで、“つなぎ”を使わない100%そば粉で作られた蕎麦は、つけ汁からゆっくり上げないと途中で切れてしまうこともあるが、口の中では豊かな風味が広がる。古民家を改造したと思われる店内の雰囲気も良く、久々にのんびりとした気分になった。

店を出ると、ことのほか陽射しが暖かだった。地図で確認すると舗装された林道はこの先も続いていて、峠を経た後に隣県の幹線国道に出ることが分かった。俺は、エンジンをかけた。

急な登り坂と連続する細いワインデイング・ロードが続く。対向車を気にしながら登ったが、峠に着くまで正面からは何も来なかった。峠は県境でちょっとした広場があり、反対側は開けていた。天気は相変わらず良く、眼下の山肌に見え隠れする道の先に小さな町が見えた。煙草に火を付け、ゆっくり喫った。

エンジンが完全に冷えてしまう前に、キーを射しこみ右に回し、セルを押した。

しかし、何の反応も示さなかった。再度、押しても同様だった。

嫌な、予感がした。
キーを戻し、もう一度イグニッションの位置に回したが、メーター・パネルのニュートラル・ランプやイージケーター類の点灯は、無かった。試しにギアの位置を確認したが、明らかにニュートラルだった。

ここに来るまで、エンジンに異音は無かったから、明らかに電装系のトラブルに違いなかった。一番考えられるのは、ヒューズが切れていることだが、交換しても原因が分からなければ、またすぐに切れてしまうに違いない。ヒューズBOXを開け確認するが、どれも無事なように見えた。バッテリーは最近交換したばかりだから、他のどこかだ。点火装置か、発電機の内部か、または、どこかのリレーの不具合か・・・。
テスターなど持ってきていないので確かめることもできないし、仮に原因が分かっても、この山の中では、どうすることもできない。

俺はキーを戻し、煙草を取り出した。深く吸い込みながら、携帯電話を取り出し表示を見た。アンテナ・マークの位置に「圏外」の表示があった。

どうするか。・・・選択旨は二つある。
一つ、バイクをここに置いて自分だけが山を降りる。そして、後日車で取りに来る。
一つ、バイクを押して山を下る。

俺は、後者を選んだ。こんな山の中に長年の“相棒”を置き去りにすることなどできない。幸いここは峠であり、戻るにしても反対側に降りるにしても下るだけだ。さっき見た下の町までは10km程度の距離に違いないし、途中にガソリン・スタンドでもあれば、そこに掛け込めるはずだ。

ヘルメットをシートに括りつけ、俺はバイクを押した。20〜30mも進むと道は下りになった。こうなると押している方が危険だから、すぐにバイクにまたがる。リレーを工夫してハザードが付くように改造しておいたことが、こんな時に役にたつ。少しでも後続車の目印になるだろう。あわよくば、手を貸してくれる者が居るかもしれない。そんな状態で2〜3km走ったが、前後のどちらからも車さえも来なかった。ブレーキがフェードを起こさないか心配だった。ギアを入れて“押し掛け”を試みたが、無駄だった。細い林道の左右には木々が生い茂り、陽射しを隠した。時折り遠くで、甲高い鳥の鳴き声が響き、気持ちを不安にさせた。道は下るだけではないので、登り坂ではやはり押した。走っている時はあまり感じないが、装備重量で250kgを超える相棒は、やはり“モンスター”だった。50mの距離すら、果てしない道のりに感じた。

「走らなければ、ただの鉄の塊・・・。」俺は、そう呟きバイクを押した。

暫くそんなことを繰り返すと、山を降り切ったのか、道は平坦になり左右にチラホラと人家も見えてきた。オドメーターが峠から12kmほど積算した数字を示した時、前方にガソリンスタンドの看板が見えた。ただ、そこまでは100mほど平坦な道が残っていた。
ガソリンスタンドの中にバイクを停めサイド・スタンドを出した時、右肩が微妙に震えているが分かった。赤い給油機が1台しかない小じんまりしたスタンドで、俺の姿を見つけた作業服姿の中年店員がゆっくりと事務所から出て来た。

「どうしたい?ガス欠かい?」
そう言う店員の言葉が、ひどく間延びして耳に届いた。

「・・・いゃ、故障さ・・・。」
俺は、息を整えながら答えた。そして、ジャケットのファスナーを下ろし、前を開いた。

「パンクかい?それは、難儀だね。バイクのパンク修理はやってないが、道具はあるから使うかい。」
のんびりとした口調に、頭の隅で何かが弾ける音がしたが、グッと抑えた。

「いやっ、パンクじゃない。(故障の)原因は分かっている。普通の道具じゃ無理だな。・・・この辺にバイク屋はないかな?」

「・・・バイク屋ねぇ〜。小さい町だから・・・、まてよ、そうだアイツのところ、昔バイクやってたな・・・。チョッと待ってな。」
店員はそう言うと、事務所に戻り受話器を取り上げた。

俺は、煙草を喫うためにスタンドから離れた。道端で一本取り出し、火を付けた。
ふと見ると道の反対側は山間部の狭い土地の開墾した田圃と畑で、腰の曲がった老婆が一人草取りをしていた。
ゆっくりと時間をかけて煙草を喫ったつもりだったが、スタンドに戻ると店員はまだ話していた。ようやく、話しを終えた店員が出てきた。

「ここから、少し行った町の外れに一軒、農機具を扱う店があってね、そこが昔バイクも扱ってたんだ。電話したらさ、軽トラで迎えに来るとよ。」

「ありがとう。」
俺は、少しだけ安堵した。失礼だが、こんな所にあって農機具を扱っている店にコイツの面倒を見れるかどうか期待できないが、山の中にほったらかしするよりは良い。20分ほどで、白い軽トラがやってきた。

出てきたのは、比較的若い男だった。白い作業用のツナギの所々が黒く汚れていたが、不快な感じは無くむしろ爽やかな印象さえ与えていた。

「どうも。・・・これですか・・・。」
彼はそう言って一度頭を下げ、事務所に入っていった。
すぐに店員と出てきて、軽トラの荷台に手慣れた様子でバイクを載せてしまった。

彼は軽トラの助手席を指して、俺に言った。
「せまいですが、どうぞ。」

「すまんね。ありがとう。」

「いえっ、たまには、こういう仕事も楽しいんで・・・。」
彼は、運転席のドアを開けた。

俺はスタンドの店員に丁寧に礼を述べ、軽トラの助手席に乗り込んだ。車が走り出した。バック・ミラーで見ると、さっきの店員が見送っていた。

「珍しいバイクに乗ってますね。S社のGS・・・、しかも“S”タイプですか。」
彼は、片手でハンドルを回しながら言った。30代前半といったところか、日焼けした横顔に精悍な感じがした。失礼とは思ったが、このバイクのことを知っているのが以外だった。

「まあね、古いだけさ。・・・トラブル覚悟で乗ってるが、こんなのは初めてだ。」

「スタンドの○○さんの話だと電装系のようですね。」

「セルが回らないし、なにより灯火類も点かない。・・・たぶんね・・・。」

15分ほどで走って、軽トラは店に着いた。木造平屋の古い家屋だが、間口が広く取られている。入口の左右に大小乗用の農業機械が並び、その傍らに50ccのスクーターとビジネス車が申し訳程度に並んでいる。瓦屋根の正面に「有限会社 ○○モータース」という古い看板が掲げられていた。

トラックからバイクを下ろすのを手伝っていると、一人の男が店から出てきた。

「ゆっくりな、・・・ゆっくり下ろせ。」
男は、しゃがれた声で指示した。迎えに来た彼と同じようなツナギ姿だが、更に汚れが目立つ。くたびれたキャップからは、真っ白な髪の毛がはみ出ている。小柄で日焼けした赤ら顔には、深い皺が刻まれていた。

店の前に下ろされた俺のバイクを、老人は前後左右、時には離れて時には屈んで舐めるように見た。そして、腕組みをして言った。

「珍しいな。久々に見たな。・・・奥に入れな。」

店内に入ると二人は、作業を始めた。外装をすっかりとっ払い、一部の部品をばらし始めた。手際の良い仕事ぶりだった。バイクに向かっている二人は、俺のことなど全く眼中になかった。

俺は、店内にあった簡単なテーブルセットに腰を下ろした。すると、老人の奥方と思われる女性が割烹着姿でお茶を持ってきて、俺の前に置いた。

「どうも・・・。」

女性は、二コリと笑うと言った。
「難儀ですね。どこから来られたんですか。」

「○○からです。」

「それは、遠方から。」

「ええっ、○○にある蕎麦屋が美味いと聞いて来たんですが、こんなザマです。」

「そうですか。あそこ美味しいって評判ですよね。私も行ったことがありますよ。
最近、この辺だとバイクのお客さん少なくなっちゃって、昔は沢山いらっしゃったんですがね。珍しいからお父さんもなんか楽しいみたいですよ。・・・あっ、こんなこと言って、すみません。バイク直るといいですね。」

「いえいえ、大丈夫ですよ。・・・お二人とも手際が良くて、見ていて安心します。」

「そうですか。私はバイクのことは全然分かりません。じゃ、ごゆっくり。」
奥さんは、そう言って店の奥に引っ込んだ。

俺は、出されたお茶を飲みながら店内を見渡した。中にも農機具や発電機などが所狭しと並んでいた。壁には、それらの宣伝用ポスターが貼られていが、中にはバイクのポスターもあった。どれも古い機種のもので、所々色あせていたり破けたりしていた。かすかにオイルや金属の錆びたような匂いがしたが不快なものではなく、その空間に居ることで落ち着いた気持ちになった。ほどなく作業を終えたのか、若い方が俺に話しかけた。

「原因が分かりましたよ。」
彼は、ゆっくりと話した。オヤジの方は、バイクの前から消えていた。

「それは、どうも。・・・で、どうですか?」

「何箇所かリークもあって、ショートでヒューズが飛びました。まあっ、それはたいしたことじゃないんですが、問題はこれで・・・。」
そう言って彼は、油まみれの手を開いた。そこには、コードの繋がった円筒形の部品があった。

「コンデンサーですか。」

「そうです。これが全く駄目で・・・。」彼は続けた。
「代替えの部品がウチには無いんですよ。今日は休日だし、メーカーに問い合わせもできません。それに、メーカーに聞いても古いこのタイプの在庫があるかどうか分かりません。」

俺は、ため息をついた。

「仮にあったとしても、届くまで時間がかかります。・・・○○からいらっしゃったんですよね。」

「ええ、そうです。」

「メーカーに在庫は無いよ。」
いつの間にか、オヤジが戻って来ていた。老人はタオルで手を拭いながら言った。

「こんな古いバイクのパーツなんざ、もう作ってないね。・・・点火系を丸ごと別回路で代替えするとかしないと駄目さ。」

俺は言った。
「重症ですね。」

「“重症”じゃないよ。パーツがありゃ良いんだ。こんなちっちゃなやつがな・・・。」
どことなく怒ったような口調だった。
「・・・あんた、このバイク良く整備されてる。あんた自身がやってるのか、馴染みのバイク屋か知らんが、良く出来てる。このバイクは“幸せ者”だ。」

「それは、どうも。」
俺は、ニガ笑いを浮かべた。

「パーツさえあれば、後10年はイケるよ。・・・そうだ、まてよ・・・。」
そう言うと、老人は隣に居た息子に耳打ちをした。「・・・そんな・・・。」という彼の小さい声が聞え、老人は俺に向き直った。

「おまえさん、車の運手はできるかね。」

「ええっ、できますが・・・。」

「そうかい、じやっ、チョッとついてきな。」

老人は、そう言うと傍らにあった工具箱を小脇に抱え、店の外に出た。俺は、後に続いた。
軽トラの運転席にもぐりこむとキーは刺したままだった。走り出すと、オヤジは「右に左に」と案内を始めた。気持ちに反して、天気はうららかだった。小型エンジンのうなる音が狭い車内に響いた。

「俺は、根っからのバイク屋さ。」
オヤジは、言った。
「だけど、今はそれだけじゃ“食えない”。あんたも見た通り、機械なら何でも扱う。トラクターとかコンバインに小型の発電機。冬には雪に埋まるから、除雪機なんてのもあるよ。息子は手広くやってるが、修理の腕はまだまださ。カミさんは、任せろって言うが、俺の目の黒いうちは口を出すつもりさ。」
老人は、笑った。

10分ほどで、畑に囲まれた小屋の前。

老人は軽い動作で軽トラから降りて、小屋のカギを開けた。手招きされ、中を覗き込んだ俺は驚いた。裸電球と曇りガラスから窓の明かりしかない少々暗い小屋の中は、バイクでいっぱいだった。オフ車が数台あったが残りはロード・スポーツで、その殆どが70年代から80年代にかけてのものだった。ほぼ全メーカーが揃っており、排気量は様々だが、いわゆる“名車”と呼ばれるものが多数あった。H車のCB、Y社のXT・XJ、K社のZ、そしてS社のGS・・・。大半が埃を被り、新車なのか中古なのか判断は付かなかったが、旧車マニアやそれを専門に扱うショップには“宝の山”に違いなかった。

「うちの在庫さ。まあっ、俺の趣味で揃えたものもあるがね。」
老人はそう言うと、小屋の奥にあった一台のバイクに歩いて行った。それは、まぎれもなく俺のバイクと同じGS・・・のノーマル・タイプだった。工具を使う音が小さく響き、老人はバイクから部品が取り出した。それは、故障したのと同じタイプのコンデンサー。

「ほらよ。これがあれば、あんたのバイクは直る。」

俺は、差し出された部品を手にした。ほぼ、新品に見えた。
「いいんですか。」

「ああ、かまわんよ。」

「しかし・・・。」

「心配は、するな。俺はバイク屋だ。バイク屋は、壊れたバイクを直すのが仕事だ。直せないバイクがあることが“シャク”なんだ。俺は何十年もそうしてきた。“意地”みたいなものさ。
さっきも言ったが、ここにあるバイクの大半は俺がバイク屋として集めたものだ。
乗ってみたい、いつか乗りたいと思いつつ何十年も経っちまった。屑鉄の一歩手前のものもある。殆どが動かすには金も時間も係るものばかりさ。もちろん好き者が欲しいと言ったら譲ってやってもいい。でも、この辺りにはバイクに乗るやつなんかいないし、わざわざ辺鄙なところに来るやつはもっと無い。息子やカミさんは“売ればいい”って言うが、俺が生きてる間は駄目だ。・・・もちろん、死んだら話しは別だがね。」
老人は一瞬遠い目をして、何かを想い出しているように見えた。

「俺はね、おまえさんみたいな客が来るのを待っていたのさ。・・・部品は、俺の“形見”だと思って、バイク大事にしてやりな。おっと、今日初めて会ったお客にこんなこと言って、俺もバカだな。」
オヤジは笑った。何とも表せない気持ちが、俺の奥底から湧き上がった。


店の前で、何事もなかったかのように俺のバイクはアイドルを続けていた。

修理代は、驚くほど安かった。
「これでいいのか?」と聞くと、息子は「部品は“タダ”ですから。」と答え、笑った。
(あんたは、オヤジに似てるよ。)

バイクに跨り、父子(おやこ)に一礼してアクセルを開けた。
夕日が、山々の緑を所々紅く染めていた。

いつか、必ず、またここに来ようと思った。





たった一人のバイク乗り−on Sunday 2010年10月31日(日)
リビングでTVを見ていると、電話が鳴った。
呼び出し音2回で受話器を取ると、「奥さま、いらっしいますか?」と聞き覚えのある女性の声。すぐカミさんに代わる。

女性同士の電話は長い。しかも、会話のリアクションが極端で起伏が激しいので、傍で聞くともなしに聞き耳を立ててしまう。ありふれた世間話が延々と続いているような・・・。
小一時間ほど話して、ようやく“本題”になったようだがそれも途中で脱線する。
男の立場からすれば少しイラつくことだが、女性にとってストレスの発散であるようで、すでにあきらめている。
電話が鳴って2時間経ち、ようやく受話器が置かれた。

「誰だい?・・・まあっ、声で分かるけど。」
俺は、テレビを見ながら聞いた。

「○村さん。」

「やっぱり、そうか。」
最近、海外赴任から帰国した“ご近所さん”だった。息子と同じ歳の男子がいる。赴任前までは同級生だったので、家族ぐるみの付き合いだった。向こうに行っている間、1度だけ帰国した年末に家族全員で訪ねて来たことがあった。

「今度、親しい奥さん同志で集まることにしたの。帰国のお祝いよ。」

「いつだい?」

「来週の日曜。昼間は女性だけで、夕方から○村さんの旦那さんと子供も来るわ。・・・そこで、その日のことだけど・・・。」

「なんだい?」

「・・・昼間は、どっかに出かけてくれない?」

(・・・おやおや・・・。)

「昼は女性だけが4人集まることになってるの。うちの(息子)は、友達と出かけるって言ってるから、夕方○村さんのご家族が来るまででいいいわ。」
カミさんは、あっけらかんとした口調で言った。“女子会(婦人会)”に、旦那は邪魔ということだ。

「“どっか”って、どこへだよ?」

「どこでもいいのよ。あなたなら、バイクでどこでも行けるでしょう。“奥さん公認”でツーリングなんて、なかなか無い機会じゃない。」
カミさんは笑った。確かに、女性の集まりに旦那が一人顔を出すのは、俺も気が進まない。

「分かった。考えとくよ。」
俺は、少し投げやりな口調で言った。

「“考えとく”じゃダメ。ぜひ、そうして。家にいたら、女性の“聞かなくてもいい話を聞いて”“お給仕”をすることになるわよ。」
(やれやれ・・・。)



日曜日、朝起きたのは平日と変わらない時間だった。息子はすでに出掛けていて、カミさんはリビングの掃除をしていた。昨夜は遅くまで、今日ふるまうための料理の準備をしていた。

「あら、おはよう。結構ゆっくりね。・・・どこ行くか決めた。」
掃除機のスイッチを切って、カミさんが言った。そして、カップにコーヒーを注ぐとテーブルにそれを置いた。

「いやっ、・・・まだ決めてない。」
俺はコーヒーを口に含み、答えた。カミさんは、自分のカップを取り出し、コーヒーを注ぐとテーブルの前に座った。

「皆さん、昼前にはいらっしゃるわ。」

「そうか・・・。まあっ、いつも通り“山の方”かな・・・。」

「○村さん家の旦那さんと息子さんが夕食で合流するから、夕方はゆっくりでもいいわ・・・。そうね、何か全員で食べられるものでも買ってきてよ。」

「例えば、どんなものだい?」

「山の方なら、牧場とかあるでしょう。地産のハムとか、ウィンナーとか、チーズなんかもいいわね。」

なんだか、“使い走り”にでも行かされる気分だ。カミさんは、悪戯っぽい目で俺を見た。

「けっして、自分の趣味でお酒なんか買ってこないでよ。・・・でも、美味しいワインとかならいいか・・・。それから、絶対に“事故らない”でね。今日は、私が追い出したみたいになったけど、それで事故にあったら・・・いやだから。」

最後の言葉には、少し真剣な響きがあった。最近はそうでもないが、まだ息子が小さかった頃、バイクで出掛けて帰ってくると嫌味っぽいことを口にすることもあったが、この顔は真顔だった。
身支度を整え、ヘルメットを片手に玄関を出たのは、9時を少し回ったところだった。その時も、カミさんは俺に「気をつけて」と声をかけた。

ガレージからバイクを押しだす。2週間ほど前にキャブのオーバー・ホールを終えたばかりなのでエンジンには問題なかった。前後のタイヤをチェックするとフロントに、小さなプラスチック片が数ミリの深さで刺さっていた。念ため空気圧を測ってみると、フロントは変わってないがリアは少し不足ぎみだった。フット・ポンプで規定値より少し高めに補充する。

天気は、予報どおり晴れ。上空にちらほらと雲が浮かんでいるが、風は殆ど無い。気温もこの時期としては高く、快適な一日となると思えた。ただ、行き先はまだ決まっていなかったので“とりあえず”、走り出す。

県道からバイパスへ。バイパスは日曜ということもあり、車の流れはスムーズだった。平日に比べれば仕事車(しごとぐるま)は少ないが、それでも時折り一番右の車線を大型のトラックが走っている。宅配便車両、建築材料の輸送、工事用のダンプ・トラック、乗用車を運搬する大型トレーラー、危険物・燃料を運ぶ銀色のタンクを積んだローリー車。
あまりマナーの良いことではないが、信号でストップしたら車列の脇をすり抜けて先頭に出ることにしている。大型車の後部に着くことや、左右両サイドに挟まれることは、自分以外のバイク乗りも好まないことだと思う。
バイクは機動性の高い乗り物だ。加速性能も良い。俺のように古いバイクでも、先頭に立てばトップで飛び出し引き離すことは可能だ。ただ、ある程度の速度まで達したらそれ以上不用意に加速することはしない。前方の車両に追いついたら、流れの早い車線に変更する。もちろん、無理はしない。

バイパスは市街地を抜け隣街との境に達すると、2車線の国道になった。高速(道路)を使うつもりは無かったので、このまま行くことにした。
道沿いには様々な建物が並んでいる。たいていは飲食店で、大型のレストランから小ぶりなラーメン屋まで、ありとあらゆる種類がある。その他には、コンビニエンスストア、本屋、家電店、ガソリンスタンド・・・、郊外の国道沿いの風景は、どこに行っても似たり寄ったりだが、安心感のようなものはある。
暫く走ると、少しずつだが建物がまばらになってくる。広い何もない敷地の向こうに田圃や畑が見え隠れする。左側の車線に多くの車が集まるようになり、空いた右側を走っていくと、その先にはバカでかいシッピング・モールがあって、駐車場に入る車列ができていた。カラフルな建物の屋上付近には、専門店を示すブランド・サインが並んでいる。
それを横目に走り、その先の市街地を迂回するバイパスの交差点でとまった。バイパスに入る用意のウィンカーを右に出し、信号が開くのを待つ。

うららかな日だった。風は優しく、日差しは初秋の頃特有の柔らかさがあった。
ふと、ミラーを見ると後ろから1台のバイクが近付いて来るのが映った。車種までは確認できないが、大型のネイッキッド・モデルであることは分かった。そう言えば、ここまで来る間にスクーターは別にしてバイクとはすれ違いも無かった。

前方の信号が、赤のまま右への矢印表示を示した。ギアを入れ、クラッチをつなぐ。車体をゆっくりと傾け、バイパスに入る。それまでの景色が一変する。道は広い2車線で、左右は開けた田園地帯となった。前方はクリアで、制限速度表示が無くなっていた。つまり、一般道の最高速(60km/h)が上限となるが、実際にはプラス20km/hで走っていた。右のミラーにバイクのライトが映っていた。そして、その後方には乗用車とトラックが続いていた。

俺は、ことさらスピードを上げることはしなかった。気持ちの良い直線道路だか、こういう道は好ましくないトラップが多いことも知っていた。後ろのバイクも、一定の距離を保ち着いて来る。やがて、前方に大型トラックの塊が現れた。制限速度までスピードが落ちる。後方のバイクが追いついてきて、10mほど後ろを走っている。俺は車線の左寄りを走り、そのバイクはほぼ中央を走っていた。マス・ツーリングなどでよくやる走り方なので、互いの位置を確認しやすい。
トラックのスピードが落ちて、ゆっくりと停まる。前方は巨体で阻まれて見えないが、信号らしい。俺は車列の間を慎重にすり抜け前に出た。後ろのバイクも着いて来る。信号が変わる。再びトップで走りだす。

こんな走り方が、4・5km続いた。その間、後ろに着いたバイクが俺の前を走ることがあった。バイクは、K社の大型ネイキッドで、排ガス規制の関係から最近製造中止が発表されたモデルだった。そして、珍しかったのはナンバー・プレート・・・。それは、ここから高速(道路)を使って7~8時間以上はかかる(もちろん“普通に走って”)「神○ナンバー」だった。連休ならばいざ知らず、今日は“普通の日曜”。リアに荷物を積んでいることもない。

ランディングしていたのは男。ごく普通のランディング・ジャケットを身につけ、下はブルー・ジーンズ。A社のフルフェイス・グラフィック・モデルを被っているが、色合いは地味でジャケットにマッチしていた。背格好や動きからすると、俺と同じ位の年代かと想像できるが、ハーフ・スモークのシールドで顔の表情までは分からなかった。

“俺達”は、何度目かの信号でストップした。
走り出すと、彼はやはり俺の後ろに付いた。暫く走ると案内表示があった。
「道の駅○○ 2km」
“用足し”をしたかったので、俺はここに入ることにした。「道の駅」近くになり、俺はウィンカーを左に出した。後ろの彼は、減速する俺の右手を追い越して行った。

(「神○ナンバー」とは、ご苦労さん。・・・道中、気を付けな。)
俺は声に出さず、呟いた。

「道の駅」に入り俺は小用を済ませ、煙草を吸った。リアに括りつけたバックから地図を取り出し、これからの“行き先”を考えた。ここから、30分ほど走ると県境の大きな川を越える。その先は比較的大きな街だ。そこを抜け郊外に出ると、簡単な表現だか国道を挟んで左右に高い山がある。どちらの山も頂上付近に湖沼があり風光明媚。興味は無いが、途中の山麓にも観光スポットが点在している。しかも、左手の山は、麓に有数の温泉街があり賑わっている。もちろん上までには、美味しいワインディングを楽しむことができる。

左は俺も何度か走ったことがあるが、右手は10年ほど前に行ったきりだった。

エンジンに火を入れ、「道の駅」を出る。
道は一車線になり、県境を越えると再び広くなった。
市街地を迂回するように走り、郊外に出る。地図で確認した県道に入り、“右手の山”を目指す。緩やかな登り坂の左右には、丘陵地に広がっていた。奥にそびえる山頂近くには少し雲がかかっていたが、青い空を背景にくっきりとした全体のシルエットが浮かび上がっていた。

標識に従って走っていると、次の交差点に山頂に向かう主要道の表示が見えた。交差点を左折し、山頂へのワインディングに入る。
時計を見ると、まだ昼前だったが、少し腹が空いた。コンビニの看板が見えたので入ることにした。店の手前で減速すると、駐車場から1台のバイクが飛び出すのが見えた。
それは、まぎれもなく、さっきの“神○ナンバーさん”だった。バイクは登り坂を加速していった。

(・・・おやおや、行き先は同じか。)

俺は、コンビニで握り飯を買った。おかかに梅、そしてツナマヨ。
(今日の昼飯はこれで済ます。)
店の前にはベンチも無いので、バックにそれをしまい込み駐車場を出た。

緩やかな登り坂の後、本格的なワインディングが始まった。タイトなコーナーが続き、バイクを傾ける。道は森の中を抜けており、標高が高くなっても一向に景色は開けなかった。不思議と前後に車もバイクも居ない。集合(マフラー)からの心地よい排気音だけが耳に届く。更に高度上がると道幅は変わらないが、きついヘアピンが現れる。コーナーの途中に路面が荒れた場所があり、リアが滑るように感じる。右に深く、左に浅く・・・。
スピードを控えめに登っていくと、突然視界が開けた。頂上付近の稜線が見えて、その後ろに藍色を帯びた空があった。道は三叉路に突き当たり、左は反対方向への下山道、右は湖沼を示す表示があった。俺は右にバイクを進めた。
すぐに、木々の間から湖面がちらちらと見え始めた。ここまで来ると、バイクや車とすれ違うようになる。道に面し、洒落たペンションのような建物も顔を出してくる。
俺は湖岸近くの駐車場にバイクを滑り込ませた。
広い駐車場は、まばらにしか車は停まっていなかった。バイクなど両手で足りるほどの数しかいない。湖岸に最も近い場所に、「神○ナンバー」がポツンと停まっていた。俺は、少しそこから離れた場所にバイクを停めた。ヘルメットを脱ぐと、冷たく乾いた空気が頬をなでた。エンジンの冷える甲高い金属音が、ことのほか良く聞えた。

ライダーの姿は、辺りには見えなかった。
俺は、バックから握り飯の入ったビニール袋を取り出し、それを下げて湖岸に向かって歩いた。駐車場から湖岸に続く歩道の左右には、土産物を売る店が並び、明るい調子で“呼び込み”をしていた。その先は湖面で、遊覧のボートを何隻も括りつけた桟橋があった。
少し緑色がかった穏やかな水面に、陽がまぶしく乱反射していた。遠く対岸にも山の稜線が続き、この湖をぐるりと囲んでいた。
桟橋の横に、湖に向かってベンチが数台並んでいた。その一つに、ランディング・ウェアーを着た男が座っていた。

俺は、彼から1台開けてベンチに座り、握り飯を取り出し口に運んだ。
ふと、横を見ると、彼も同じようにサンドイッチを食べていた。目が合った。

「・・・どうも・・・。」
最初に口に出したのは、彼だった。

「どうも。・・・少し寒いけど、いい天気ですね。」
俺は言った。顔を見るかぎり、歳は同じくらいかと思えた。比較的大きく黒目がちな目、裾が少し広がった鼻、薄い唇、目尻にカラスの足跡のような皺があった。

彼は、言った。
「いいバイクに乗ってますね。S社のGS・・・、クーリー・・・。」

(気づいていたか。・・・当たり前か。)
「いや、古いだけのバイクですよ。・・・あっち、こっちガタがきてるし。」

「でも、良く整備されてる。さっきなんか、置いてかれるって思いましたよ。」
彼の口元が、ニヤリと笑った。そして煙草を取り出し、口にくわえた。簡易ライターで火を点けようとしたが、何度か火花が散るだけで点かない。
俺は自分のZippoをポケットから出し、渡そうとしたが、彼の手がそれを遮った。そしてジャケットの別のポケットから自分のZippoを取り出し、火をつけた。

「・・・どうも、いつもライターは二つ以上持ってるんですよ。その方が安心するので。」
そう言って深く煙草を吸い込むと、紫の煙をユックリ吐き出した。彼のZippoは、俺のに似ていた。

俺も煙草を出して、吸った。
「K社もいい。・・・特にスタイルが。エンジンも空冷ならではの綺麗だし。」

「ええっ、結局なんだかんだ“このシリーズ”全部乗っちゃって。400から始まって、あの1100も2台目ですよ。」
彼は、再び湖に向かって煙を吐き出した。

俺は聞いた。
「ところで、今日は“どちらから”?」
これは、完全な好奇心からだった。

「自宅から、神○の・・・。」

「・・・ここまで(時間は)どれくらいで来ました?」

「8〜9時間て、ところです・・・。」
彼は、続けた。
「いえねぇ、一昨日の夕飯時のことですが、家内がね言うんですよ。
『あなた、日曜はどこかに出かけてくれない?』ってね。私が『なんで?』って聞くと、近所の奥さん方の何とかサークルで家に集まるから、1日中どこでもいいから出かけて欲しいということなんですよ。」

「はあっ・・・?」
俺は、思わず口にした。

「でね、私も3週間ほどバイクとご無沙汰だったから、都合がいいと思って。
朝なんかウキウキしてたのか、3時頃目が覚めちゃって・・・。
ただ、身支度して出かけたんですが、どこに行く“あて”も無くて。まあ、とりあえず琵○湖辺りまで行こうと高速(道路)のったんですね。そしたら、なんか楽しくなつちゃって、気が付いたら名○屋を過ぎてた。浜○まで来ると、ここまで来たら箱○かなって思ったら、そうだこの際“ここまで”来ようと考えたんですよ。以前から行きたいなと思ってたんですが、神○からだとなかなかね・・。少し遠回りしたけど、来てよかった。」

そう言うと、男は両手を上にあげて大きく“伸び”をした。
その顔には一瞬満足げな表情が浮かんで、消えた。俺は、少しだけ『羨ましい』と感じたが、それを口に出すことはしなかった。

そして、聞いた。
「今日は、これからどうします?」

「もちろん、帰りますよ。・・・そうだ、この辺りで土産になるような物は何ですかね?
カミさんがね、『どこか行くなら、美味しい物でも買ってきて』って言ってたんで。」

「それなら、いい物がありますよ。・・・すぐ近くですから、これからそこに行こうと思ってたんですよ。」
俺はニヤリと笑い、答えた。


家に着いた時、周囲はすでに真っ暗だった。初秋とは言え、日が落ちるのは早かった。
玄関を開けると、賑やかな声が聞こえてきた。リビングでは、○村さん一家が全員顔を揃えていた。

「おかえりなさい。お邪魔してます。」
○村の奥さんも旦那さんも、以前と少しも変わらぬように見えた。

「おかえり。早かったのね。」
カミさんが、キッチンからサラダの器を持って出てきた。

「そうでもないさ、もう外は真っ暗だ。」

「結局、どこまで行ってきたの?」

「・・・神○。神○まで行って帰って来た。」
俺はそう言って、手に持ったビニールの包をカミさんに渡した。

「なに、バカなこと言ってんの。」そう言いながら、包の中から瓶を取り出した。
「やっぱり、ワイン買ってきた。・・・これって○○山近くで作ってる有名なヤツよね。神○には売ってないわ。」

カミさんは、笑いながらテーブルにワインを置いた。

次は、俺の番だと思った。“次”が何時なのかは、分からないが。







たった一人のバイク乗り−Wish you were here− 2010年09月04日(土)
寝苦しい夜だった。
昼間の猛暑が夜間になっても収まらず、当然「熱帯夜」となっていた。
エアコンを使うことはあまり好きではなかったが、寝つきを良くするためタイマーをセットし、スイッチを押した。
冷風が足元をくすぐりうとうと仕掛けた時、タイマーが切れた。寝苦しい。
窓を開け放ったが、風は殆ど無くベッド・ルームの熱気は残ったままだった。

しばらく横になっていたが、起きだしてリビングのソファーに腰を下ろした。家の中は俺ひとりだった。普段なら横で豪快な寝息をたてるカミさんも、今日はいない。息子と実家に行っていた。

「私たち車で行くから、あなたはバイクで来てよ。ちょっとしたツーリングで気分でしょう。」
カミさんが、そう言って出かけたのが数日前のこと。俺は仕事の関係で残らなければならず、明日(日付が変わったので正確には“今日”)には合流する予定だった。

リビングの空気も淀んでいたが、ベッド・ルームよりは“まし”だった。
まだ、外は暗い。時計を見ると午前2時を少し回ったところ。冷蔵庫からパックのアイス・コーヒーを出して一口飲んだ。それからベッド・ルームに戻り、夏用のランディング・ジャケットに着替えた。ヘルメットを持ってガレージに向かい、雨具と簡単な着替えの入ったバックをリア・シートに括りつけた。

「少し早いが、出かけるさ・・・。」誰もいないガレージで呟いた。

ガレージのシャッターを開けると、むっとする熱気が入ってきた。バイクを幹線道まで押し出す。それだけで額に大粒の汗が噴き出た。エンジンは、素直にかかった。今年の猛暑は空冷大排気量マシンには辛いものがあるが、先週オイルを交換したばかりなので“グズる”ことはなかった。

夜の道に走り出すと、アスファルトからの照り返しは無いが、昼間の余熱が残っているように感じた。オレンジ色の街灯の列が揺らいで見える。幹線道は片側一車線で、ほほ直線。しばらく行くとバイパスに出る。当然、交通量は少なく、信号で捕まっても前後に車はいない。

カミさんの実家までは、高速を使って3時間程度だった。何もなければ明け方には着いてしまうが、それは“つまらない”。途中のインターで降りるか、通り過ぎて“少し遊んで”からでも良い。時間はあるし、実家に行っても何もすることはないのだ。

バイパスの3車線道路にはそれなりに車が走っていたが、快適に流れていた。無理に車線を行き来する必要はないし、道幅が広いからかジャケットを通して感じる空気は、こちらの方が涼しいように感じた。30分も走ると、高速(道路)の入口に着いた。

ゲートをくぐると左に高速機動隊の詰め所があり、白いレンガ塀で囲まれた建物の傍に黄色いパトロール車両が何台か停まっていた。横には比較的広いスペースがあり、そこにバイクを停めた。エンジンを切ると、キンキンという金属が冷える音が聞えた。

俺はヘルメットを取ると、煙草に火をつけた。
ボッとしたオレンジの街灯が、詰め所の周囲だけを照らしている。立ち並ぶ高速の入口ゲートは、開いているところだけが明るく、近代的な作りであるはずなのに、どこかレトロな雰囲気をたたえていた。時折ゲートの所々から、車が飛び出していく。
以前何かの本に「ゲート」「門」といったものは、別世界への出入口も兼ねているといったことが書かれていたことを思い出した。そこからは、入っていくだけではなく色々なものが“やってくる”らしい。異世界の存在や霊的なものを信じてはいないが、高速道路のゲートが日常の領域とは別なものへの入口であることは何となく分かる。

煙草を地面でもみ消した時、1台のバイクがゲートを飛び出して来た。今時珍しい2スト・エンジンを積んでいることが、甲高い排気音で分かった。それは、こちらにやって来て俺のバイクの隣に停まった。K社のオフ・モデルで、車体色はワークスカラーのグリーン。
ライダーは、跨ったまま俺をチラっと見てエンジンを切った。バイザーの付いた派手なカラーリングのヘルメットを脱ぐと、それをミラーにひっかけた。若い男だった。
彼は、素早い動作でバイクを降りた。背が高くスラリとしている。
上から下まで、完全なオフ・ロード用ウェアに身を包み、グローブとブーツはおきまりのごついプロテクター付きのものだった。

「やあっ、どうも“コンバンワ”。」
彼は、人なっつこそうな笑顔を見せ、話しかけてきた。

「ああっ、どうも・・・。」

「暑いですね。夜になっても気温が下がらない。」
そう言った彼は、重装備なのに汗ひとつかいていない。

「ああっ、走っても、あまり涼しくないな。」

「お一人ですか? それとも待ち合わせ?」

「一人だよ。ふらっと走ってる。」
俺は、そっけない素振りを見せないようにしながら答えた。実はこんな場所で話しかけられるのは、あまり好きではない。

「そうですか。僕も一人です。・・・これあなたのバイクですか?こんなの見たことないな。すごく古いですよね。何ccですか?」

「1000ccだよ。」

「やっぱ、大きいと高速とか楽そうですね。」

「まあね。・・・君のも今時珍しい2ストじゃないか。これ250(cc)だろ。」

「ええっ、ずっとコレで走ってますよ。2ストは加速がいいんで、好きですね。
・・・僕、山に行くのが好きなんです。だから、ずっとオフ車ですね。景色とか見て、山の中をずっと走っていたい。」

「ああっ、俺も山は好きだ。」

「バイクって機械ですけど、生き物って感じがするんです。自然の中を走ってると、それを強く感じる。自然と一体になった気がする。人間も呼吸してるけど、バイクも呼吸してエンジンが回っている。その感じが好きです。・・・ところで、“お暇”なら僕と一緒に行きませんか。」
彼は、探るような眼で俺を見た。

「・・・いやっ、遠慮しとくよ。」

「そうですか、それは残念だ。・・・じやっ、僕行きます。」
彼はそう言うと自分のバイクに跨り、勢いよくキックした。乾いた音が周囲に響いた。素早い動作でクラッチを握り、ギアを踏み込むと高速の本線に向かって走り出した。

(俺は、君とは違う。・・・残念だけど。)

赤い小さなテール・ライトの向かう先、遥か暗い上空に青白い月が浮かんでいた。
満月には少し早く、かなり太めのラグビー・ボールのような月だった。何故か、いつもとは違って見えた。でこぼこした表面の模様が薄く、輪郭がはっきりとしていて大きく見開いた白い瞳のようだった。月が常に同じ面を地球に向けていることは、俺でも知っている。裏側の暗い部分を地球上から見ることはできない。そこには、どんな世界があるのか・・・。

「すまんが、火を貸して貰えないかね?」

後ろから声が聞えた。振り向くと、初老の男が立っていた。その傍には大きなカウルが付いたY社のツーリング・モデルが停まってた。
俺は胸ポケットから銀色のZIPPOを取り出し手渡した。男は無言でそれを受け取ると、慣れた手つきで口にくわえた煙草に火を付けた。

「ありがとう。」
男はライターを差し出した。そして「いい、ライターだね。」と、言った。どこか懐かしい煙草の匂いが、鼻をくすぐった。

(この香りは、ショート・ホープだろうか?)

「・・・どうも。」

「使い込んでるが、メンテがしっかりしていてとても使いやすい。これと同じものを昔使ってたが、どこかにいってしまった。」
男は、陽気な口調で話した。

「物持ちがいい方なんで、10年ぐらい使ってますよ。フリント・ホイール(着火石に接する、円形のヤスリ部分)を2回、リッド(蓋)とボトム(外装ケース)を繋ぐヒンジを
1回交換しましたよ。後は、こまめに掃除してやるだけですがね・・・。」

「道具を大事にすることはいいことだ。」

「金が無いだけですよ。バイクに金をかけすぎて、なさけないがライターも買えない・・・。」
俺がそう言うと、男は声を出して笑った。

男の年齢は、明らかに俺より上であるに違いなかった。髪の8割は白く眉間と目じりに深い皺があったが、どこか異国情緒を漂わせた精悍な顔つきをしていた。身長も高く、ぴっちりとした革の上下セパレーツのランディング・ウェアが似合っている。Y社のツーリング・モデルは、一昔前のものだったが良く磨きこまれており、リアのトップとサイドにパニア・ケースが取り付けられていた。

男は煙草を深く吸い込み、煙を吐き出した。そして、そして俺のバイクを見ながら言った。
「・・・ところで、これはS社のGS・・・だね。」

「ええっ」

「いいバイクだ。どのくらい乗ってるのかね?」

「20年くらいかな・・・。」

「・・・20年か。最近はなんでも使い捨てる。バイクもそうだ。新車が出れば、すぐにそれに飛びつくやつがいるが、長年乗らないと本当の良さは分からない。」

俺は笑った。
「まあっ、最近はチョッとした“旧車ブーム”ですから、好んで古いのに乗るやつもいるみたいですよ。・・・こいつに関しては“これから”面白くなると思いますよ。」

「そうか。・・・今日は“一人”かい?」

「ええっ。」

「どうだい、私はこれから県境を越えて走るつもりだが、一緒に行かないかい?」
男は、魅力的な笑顔を見せて言った。

「・・・いやっ、遠慮しときますよ。」
俺は注意深く、答えた。

「そうかい、それは残念だ。・・・じやっ、私は行くよ。」
男はそう言うと自分のバイクに跨り、セルを回した。図太い排気音が周囲に響いた。2度3度、アクセルをあおると再び俺に顔を向けた。ヘルメットの奥の目が笑っていた。
俺が右手を挙げ出発を促すと、男は勢いよく走りだした。

(俺は、あなたの仲間では無い。・・・残念だけど。)

俺は再び煙草を口にした。何か飲み物が欲しかったが、詰め所の傍には自動販売機など無かった。ゆっくりと煙草を吸い、1/3ほど残ったところで地面に落としもみ消した。
時計を見た。ここに着いてからそれほど時間が経っていない。
どこで“遊ぶか”は、高速を走りながら考えよう。バイクのミラーにひっかけたヘルメットに手を掛けた時、ヘッド・ライトの明かりが近付いてきた。
聞き覚えのある集合マフラーの排気音とともに、青いバイクが停まった。それはH社の750ccで、往年の人気モデルだった。

「ずいぶん、久しぶりじゃないか。」
俺は、バイクの男に言った。男はバイクを降り、ゆっくりヘルメットを取った。懐かしい顔が現れた。

「そう、久しぶりだな。・・・俺もなかなか時間が無くてな・・・。どうだい、調子は?」

「ああ、まあまあだな。お前はどうだ?」

「そう変わらないよ。相変わらず、古いのに乗っているな。」

「お前の“F”だって、ちっとも変ってない。」

「変わりようがないさ。俺のバイクは“コレだけ”だからな。」
男は、声を出して笑った。

スリムな革のランディング・ジャケットにストレート・ブルー・ジーンズの姿は、昔とちっとも変りなかった。男はジャケットのファスナーを下ろし、胸ポケットから青いパッケージの煙草を取り出し、一本口に咥えて火を付けた。大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出すと、言った。

「あいつは、元気か?」

「“あいつ”と言っても、色々いるが、誰のことかな?」
俺は、悪戯っぽい口調で答えた。

「いつもの三人組のもう一人。“バイク屋”はどうしてる?」

「変わらんよ。流行らないバイク屋を切り盛りしてる。たまに、暇な時は一緒に走りに行ってるよ。」

「そうか、それは良いな。ヤツには子供がいたが、大きくなったかい。」

「来年は中学だ。うちのと同い年の女の子さ。かなり“マセてきた”ようだがな。」

「お前のとこは、男の子だったな。・・・そろそろ“バイクに乗りたい”なんて言ってんじゃないか?」

「ああっ、たまにな。でも本人にその気が有るのか無いのか、今は分からん。」

「大丈夫さ。時が来れば、乗りたくなる。なにせ、お前の息子だからな。“俺達”だって、そうだった。誰が最初だったか、・・・たぶんバイク屋だ。次はお前、最後が俺だった。俺の家は厳しくて、高校生がバイクに乗るなんてダメだと反対したが、結局バイトして親には内緒でバイクを買った。しばらくバイク屋にあずかって貰ってた。皆50(cc)で、パワーなんか知れてるのに、それで十分だった。」

「そうだったな。」
俺は、小さくため息をついた。

「休みの日は、三人で良く走りにいった。あっちの峠、こっちの林道、広い海岸線の道。
・・・楽しかった。高校を卒業してお前は大学に、俺はすぐ就職した。俺がなぜすぐに働いたか分かるか?」

「・・・金が欲しかった。」

「・・・そう。バイクを買う金が欲しかった。その時、俺達三人の中でバイクを最後に買った俺が、一番バイクに“のめり込んでいた”。誰よりも大きいバイクに乗り、誰よりも早く走り、遠くに、遠くに・・・。行った事の無い所へ、この国の全部の道を走りまわりたいと思った。・・・金を貯めて免許を取り、中古だが、この“F”を買った。」

「お前が、“F”を買った時、俺は驚いたよ。・・・そして、“やられた”と思った。」

彼は小さく笑い、そして言った。
「ハハハッ。でも、お前もしばらくしたらコイツを買ったろう。その前に400Fをオシャカにして。バイク屋は“よりどりみどり”だしな。・・・そして三人で走った。」

「ああっ、走った。・・・いい時間だった。」
俺はそう言うと、高速のゲートから続く本線道の遥か先に目を向けた。登り坂の真っ直ぐな道を、数キロ先まで続く外灯が照らしていた。正確な遠近法によって中心点に向かう道は、その先が山影に入る大きなコーナーになっているためか、消えてしまったように見えた。背景になった山の黒い稜線が、淡いオレンジ色に染まり始めていたが、天空の月明かりはまだそのままだった。
短く、そして長い時間が過ぎて、彼は言った。
「ところで、“あいつ”は今どうしてる?」

今度の「あいつ」が誰のことなのか良く分かったので、そのことについて聞き返すことはしなかった。

「俺も3年ほど会って無い。でも、年一回必ず“便り”をよこすよ。・・・元気でいるらしい。」

「・・・まだ“一人”か?」

「ああ、住所も名字も変わってない。」

「そうか・・・。」

「たまには、会ってやったらどうだ?」

「・・・そうだな。でも当分できそうもない。俺は、彼女が好きだった。バイク以外で夢中になったのは、彼女だけだった。」

「彼女もそうさ。だから、今も一人でいる。」

「俺は、彼女に“悪いこと”をしたのかな?」

俺は、その問いかけに、少しだけ時間をおいて答えた。
「・・・彼女は、そんなことは思っていないと俺は思う。彼女は、バイクが好きなお前を好きだった。それは今も変わっていないし、これからも変えるつもりはない。それだけのことだ。
“好き”であることに“理由”は無い。“何故(なぜ)”も無い。
“好き”であることを説明するなど意味の無いことだ。
お前も俺も、そしてバイク屋もバイクが好きだ。これからもそれは変わらない。だから乗れなくなるまで乗り続けるだろう。そして、乗れなくなってもバイクが好きであることを変えるつもりはない。つまり・・・同じことさ。」

「彼女は“変わって”ないのか。」

「そう、変わってない。もちろん、これからどうなるか俺には分からない。・・・でも、たぶん、変わらない。お前と彼女の間に、どんなことがあったのか、俺は詳しくは知らないが、遠い想い出を大事する人生があってもいいと思う。そうやって生きてくことが彼女にとって幸せなのはよく分かる。」

「幸せなら安心だ。・・・ありがとう。」

いつの間にか暗い空は、青みを帯びた灰色に変わっていた。

「そろそろ時間だ。・・・俺は行くよ。」
彼はそう言うと、Fのエンジンを掛けた。

「今度は、いつ会える?」
俺は、ヘルメットを被ったアイツに言った。

「さあな、そんなことは俺にも分からない。」
アイツは、ギアを放り込んでリア・タイヤを鳴らし走りだした。ゲートから出て来たセダンが、ヤツの進路を塞いだが、軽くリアを振ってそれをかわした。

(相変わらず、危ないヤツだ。あのタイミングなら間違いなく突っ込んでいたはずだ。そう、あの時も・・・。)

俺は暫くの間、遠ざかる排気音を聞いていたが、それも聞えなくなると自分のバイクに火を入れた。

高速を走るとすぐに、前方の山影から朝日が顔を出して来た。
路面には濡れているかのような、幾本もの黒い筋が走っていた。
いつもより少しだけ、大目にアクセルを開けた。

(・・・アイツに追いつくはずもないが)

風が冷たく感じた。走りながら、歌を口ずさんだ。

それは、昔よく聞いていたロック・グループのバラードで、「Wish you were here」という曲だった。

日本語のタイトルは「あなたがここにいてほしい」という・・・。






たった一人のバイク乗り−Old Man− 2010年07月04日(日)
「無愛想な人・・・」
というのが、最近のカミさんの“キメ台詞”だ。

指摘の通り、家の中では「無愛想」なのかも知れない。家の中の所持雑多はカミさんまかせで、いつの頃からか、むこうが一方的に話すことが多くなった。相槌を入れることが仕事になり、更には意見を言おうものなら“却下”されることがシバシバ。

カミさんは、次にこう続ける。

「そんなんで、仕事は大丈夫・・・」

もちろん仕事の場合は“大丈夫”だ。しかし、それを口には出さない。
仕事場では、自らがコミュニケーションの切っ掛けを作るようにしている。他愛ない会話が仕事を円滑にすることは、良く分かっているからだ。

子供はある一定の年齢を過ぎると、親とは口を聞かなくなる。いや、正確には“こちらから話さないと話さなくなる”。友人と出かけることが多くなり、親に付き合わない。思春期・反抗期であることを承知のうえで、まだ親の被護の内であるから、多少は説教めいたことを言わなければならないという意識が働くと、これが“鼻につく”ようだ(当然オヤジ・ギャグなど通用しない)。そして以前なら、快くタンデム・シートに座ったのに、今や見向きもしない。興味の対象が日々増えている状況であろうし、大人の感覚では既にどうでもよいものが新鮮に思える時期には違いない。父親のバイクなど、今のところ眼中には無いのだろう。

「俺が乗れなくなったら、このバイク、お前が乗るか?」と、言ったことがある。

その時の答えは、「考えとくよ・・・。」だった。

親の価値観を子供に押し付ける気は無い。ただ大げさな表現だが、ものの分別が付く年齢になるまで、道筋だけはキチンと付けてやりたいと思うし、それまでは“バイクに乗る父親の姿”を見せていたいと思う。自分の遺伝子を受け付いているから、そのうちバイクに“戻って”くると期待したいが・・・。

その日は、どんよりとした曇り空が広がっていた。
いつも通り朝早く起きてガレージからバイクを引き出すと、額から頬に掛けてうっすらと汗が流れた。夏の前、梅雨の時期。気温も湿度も高く、薄手のジャケットが舐めるように肌に張り付いていた。エンジンに火を入れ、暖気に時間を取る間、東の空に目を向けるが、そこには厚い雲しか見えなかった。こんな日、この古いエンジンは“愚図る”こともあるのだが、少しのグリッピングにもタコ(メーター)は素直な反応を見せた。

天気予報では、夕立の確立が高いとのことで、午前中ならばとバイクを走らせる。
幹線道路からバイパスへ。こころなしか車が多いように思えたが、国道を経て一車線の県道に入ると、前後の交通量はまばらとなった。田園風景の中をゆるやかな弧を描きながら走る。この季節特有のものか、数キロごとに風が変わる。生温かい空気が一瞬で冷たくなり、乾いた風がいつの間にか湿った衣を纏う。どこに行く“アテ”はなかったが、遠回りしながらいつもの峠を目指していた。
民家が途切れ、ワインディングが始まる。ホンの少しだけ、ヘルメットのシールドをあけると、樹の香りがした。風の音に混じって、道に沿って流れる川のざわめきが聞えた。
県道を外れ、舗装された細い林道を登っていく。ざわめく木々の間からは、やはり曇った空しか見えない。

峠に着くと、そこには誰もいなかった。一軒だけの食堂兼土産物屋も、時間が早いのかまだ開いていない。雲が少しだけ切れて、薄日が射していた。標高はさほど高く無いが、下界よりは涼しい。店の前のベンチに腰をおろし、煙草に火をつけた。

「そう言えば・・・。」

つぶやくような独り言だった。
この峠は、数年前息子と初めてタンデムで来た場所だった。心配そうに見送るカミさんの顔を、今でも覚えている。最初はデカイ音を出す集合マフラーに怖がっていたが、しばらくするとすっかり慣れた様子だった。信号で止まる度に、首を後ろに回し、「大丈夫か?」と話しかけた。ワインディングになるころには、風を切る爽快感が分かったのか、バンクに合わせ身体を預けるようになった。そして、ここに来て遠くの景色を眺めた。

その時の会話は、学校のこととか友達のこととか他愛ないことだったように思う。
バイクに乗った感想を聞くと、
「怖くないけど、スピードはあまり出さないほうがいい。」と、言った。
俺は、笑った。
帰りはスピードを抑え、少しだけ慎重に走った。平坦な道になると、腰にまわした手から力が抜け、それと同時に息子が背中にもたれかかるのが分かった。走りながら、片手で息子の手を抑え、時に揺さぶって“夢の世界”に行かないようにしながら帰宅した。
リア・シートで寝るなんて、やはり子供だった。それが、今や・・・。

二本目の煙草をもみ消して、ベンチから立ちあがった。セルを回し、ゆっくりとヘルメットを被り、バイクに跨った。来た道を戻らず、逆方向に峠を降りた。
しばらく下ると、信号の無い四辻があり、停止線で止まった。路面が少し荒れた林道が交差していて、左手に小さな案内表示が見えた。

「○○鉱泉 共同浴場」

苔むした板きれに、走り書きしたものだった。何度か、この道を走ったことがあるが、全く気付かなかった。時間はまだある。俺は、誰も見ることのないウィンカーを左に出した。

うっそうとした杉木立の中を、道は続いていた。登りの路面は、乗用車がやっと通れるほどの幅で、思った以上に荒れていた。道の中央が轍で盛り上がり、その左右の所々舗装がはがれていた。しかも、時折きついコーナーが顔を出すので、スピードは30km/hを超えることは無かった。2kmほど走ると景色が開け、山肌にへばりつくような小さな集落が現われた。先ほどと同じ小さな看板が現れ、それに沿って進むと。瓦屋根の大きな建物の前に出た。

この周辺で鉱泉が湧き出ることは、以前から知っていた。少し降りた所には、観光客向けに大きな入浴施設が何箇所かあり、結構賑わっていた。ここは、そういった施設が出来る以前から、地元の人々が気軽に入れるよう作られたものなのだろう。

漆喰で塗られた白壁は、ところどころはげ落ち茶色の土壁が出ているが、周囲の民家とは明らかに違う立派な作りだった。正面の合わせ戸の上に、「○○鉱泉 共同浴場」と書かれた杉の一枚板の看板が掲げられていた。更に良く見ると、引き戸の右側に「やってます」と記された小さな木札が下がっていた。
俺は車二台ほどがやっとの広さしかない、砂利が敷き詰められた駐車スペースにバイクを停め、ヘルメットをミラーにひっかけて、その引き戸を開けた。

玄関の左右に、本棚のような下足入れがあった。ショート・ブーツをそこに入れて更に内戸を開けると、そこは比較的広い板敷の待合室だった。古ぼけたソファー・セットが一組あるだけだが、左右のガラス窓が大きく室内は明るかった。
誰もいないかと思ったその時、奥に帳場に座った老婆が声を掛けてきた。

「いらっしゃい。」

「・・・どうも・・・。」
俺は、フィにそう答えた。

「お一人ですか、400円になります。タオルはお使いなさるか。」

俺は、タオル代も含め600円を老婆に手渡した。

「どうぞ、ごゆっくり。」
屈託のない笑顔を見せた老婆の顔の皺が、更に深くなっていた。

帳場の左右に大きな暖簾が下がっていて、俺は“男湯”と書かれた方をくぐった。
すぐに脱衣場で、広さは六畳程。ここにも誰もいない。
右手の壁に背丈ほどの木枠棚があって、ドアもカギも無い簡易な作りに少しだけ不安を覚えたが、その一枠に衣服を全て放り込み、湯煙でくもったガラス戸をゆっくり開けた。

鉱泉特有の酸味を帯びた香りが、鼻を刺激した。正面の壁の上から1/3程度が全面ガラス戸で、古びた木造りの湯殿全体を明るく照らしている。湯船も木製で、一度に5・6人ほどの入れる大きさがあった。そして、“先客”が一人、こちらに背を向けて湯に入っていた。

俺は洗い場の蛇口(五つしか無い)で桶に湯を汲み、肩口から身体に掛け股間を洗い、“先客”より少し離れて静かに湯船に浸かった。
浴槽は思ったよりも浅く、べったり座っても肩が少し出た。少し粘りがある湯は無色透明で、熱くなくぬるくなく。固着した筋肉が、解きほぐされるようだった。

「お前さん、どこから来なすった?」
隣に座った“先客”が言った。小ぶりな老人で、細い両手を前に出し湯に浮かべていた。
皺だらけの小さな顔と、白髪が少しだけ残った頭の具合が、その年齢を良くあらわしていた。

(親父が生きていたら、同じくらいの年齢「とし」か・・・。)

「○○からですが。」

「おお、そうかい。それは遠くから、こんな辺鄙なところへ・・・。ここは、何もないところだよ。」
老人の口調は、以外にしっかりしていた。

「辺鄙なところが好きなんですよ。それに、ここは“良いところ”じゃないですか。」

「そうだな、・・・確かにここは“良いところ”だ。わしなんか、ほぼ毎日来てるよ。」

「毎日ですか?」

「ああっ、時間もほぼ同じさ。朝風呂に入るのが日課さ。・・・○○からだと、車かい?」

「いえっ、・・・バイクです・・・。」

「ほぉ〜っ、バイクかい。それは、凄いな。」
その声に、好奇心がうかがえた。老人は、ゆっくりと立ち上がり湯船の縁に腰を下ろした。細い手足は、筋肉が落ちていて皮膚のすぐ下は骨だけのように見えた。

「バイクだと、どれくらい(時間が)かかるかね?」

「3時間ほどですよ。・・・まあっ、散歩みたいなもんですね。」

「そうかい。バイクが好きなんだね。」

「ええ、まあ・・・。」

「いやね、わしも昔はバイクに乗っていたよ。40年ぐらい前までかな・・・。この辺りの山の中を走ったりしてたよ。当時は、バイクなんて高級品でね、乗ってると皆にうらやましがられた。」
老人は、タオルで顔をぬぐい、遠い目をした。

「メグロって知ってるかい?黒いでかいオートバイでね、わしの親が買ってくれたのさ。
・・・大きな音を出して走ったよ。この辺は道なんか細しい舗装してなくて、ずいぶんとパンクもしたしエンジンも良く壊れた。そしたら全く動かなくなって、次はホンダのCBだったかな、これにも乗った。ホンダは小さかったが丈夫で壊れなかった。走ってるとキツネやタヌキなんかも出てくるんだ。無理して山の上まで登って、そこで酒を飲むんだ。警察なんかいやしないから、そんなことも出来た。すごく楽しかった。・・・いい時代さ・・・。」

「・・・いい時代だった。」

「そうさ。もちろん若い頃は、仕事もバリバリやったよ。この辺りは山しかない。山が財産で、木をたくさん切って街まで運んで売った。昔はこれが飛ぶように売れて“羽振り”が良かった。金が一杯入ると、他の者は「酒だ」「女だ」「博打だ」って金を使ったが、わしは、バイクが好きだったから何台も乗り換えた。バイクで走ってるとイヤなことは、全て吹っ飛んだ。」

「・・・この湯屋は、そのころからあったんですか?」
俺は、呟くように言った。天井から湯船に滴が落ちて、大きな音をたてた。

「ああっ、そうさ・・・。俺の“父親達”が金を出し合って建てた。」
老人は、そう言って更に続けた。

「山の仕事は、辛いものさ。お前さんみたいに“若い”者は知らないだろうけど、杉だのブナだの切りだすんだが、道なんか狭くてトラックなんか通れないから、大勢でロープをひっかけて広い道まで下ろすのさ。雨の日なんか辛かったよ・・・。
そして、もっと辛いのは怪我をした時さ。切り倒す時も、運び出す時も事故は起きた。怪我なんか日常のことさ。でも、病院になんか行けない。ここから街まで下りるまで時間がかかるからね。手足を挟まれて、そのまま動かなくなったなんてまだいい。頭を打ったら、もう“終わり”さ。・・・俺の仲間も何人か、そうやって死んだ。
でも、楽しかった。皆が一緒になって仕事をする。終わったら、ここに来て湯に入った。その後は酒盛りさ。でもね、段々時代が俺達を置いてった。今じゃ山で仕事しようなんて若い者はいなくなって、皆街で働いてる。ここいらに残ってるのは年寄りばかりさ・・・。
・・・すまないな、こんなつまらない話をして・・・。」

「・・・そんなことはないですよ。」

「そうかい。俺の息子もバイクが好きだったよ。俺に似てな、・・・あんた、俺の息子にそっくりだ。」

『その息子さん、今はどうしてますか?』と、聞こうとしたが、
その前に老人は「・・・じゃあ、ゆっくりな・・・。」と、言って湯船から出ていった。
少し辛辣な話も含んでいたが、当の本人に悲想観は無かったように思えた。どこか遠くの思い出話をするような・・・。

老人が湯殿を後にして少し経ってから、俺はそこを出た。
着替えて待合室に行くと、先ほどの老婆がもう一人の老婆とソファーで談笑していた。
ゆっくり玄関に向かうと「また、いらっしゃい。」と言う、老婆の声が聞えた。

バイクに戻ると、そこに先ほどの老人がポツンと立っていた。湯殿で見るより、更に小さく見えた。少し曲がった腰を、ステッキで支えている。
老人は、俺に気付いた。

「これ、お前さんのバイクかい?」

「ええっ、そうです。」

「でかいバイクだね。何キロくらい出るんだい。いい、バイクだ。息子のに似ているよ・・・。」
老人は、そう言いながらバイクの周りをぐるりと歩いた。

俺は、好奇心に駆られた。
「そう言えば、さっき聞きそびれたんですが、息子さん、今はどうされているんですか?」

「息子かい・・・。息子は、死んだよ・・・。」
老人は、ステッキの先で小石を転がしながら言った。

「・・・亡くなった・・・。」

「ああ、何年も前にね。」

「どうして?」
俺は、思わず口に出した。(そんなこと、聞かなくてもいいものだ。)

「あいつが、中学ぐらいの頃さ。わしは、あいつをバイクの後ろに乗せて走っていた。きついカーブで転んじまって、俺も息子も投げ出された。そん時はヘルメットなんか被って無くて、俺は足にけがしただけだったが、あいつは頭を打った。だらだらと血が流れてよ。どうすることも出来なかった。1時間も経って病院に運んだけど、手遅れさ。・・・そのまま・・・。」
老人は、空を仰いだ。
俺は無言だった。

その時一台の軽トラックがやってきて、俺達の前に停まった。
ドアが開いて、男が降りてきた。
(作業服姿で、恰幅がいい。年齢は俺と同じくらいか・・・。)
男は老人に向かって、言った。
「オヤジ、迎えに来たよ。早く乗りな。」

(「オヤジ・・・」とは?)

「おうっ、今日は遅かったな。・・・昼飯は何かな・・・。」
老人は、そう言うと軽トラックの助手席に乗り込んだ。俺は、あっけに取られた。
俺は、男に向かって言った。

「あの〜。・・・すいません。」

男は運転席のドアノブに掛けた手を離し、こちらに振り向くと怪訝そうな顔を見せ、俺の頭の天辺からつま先まで眺めて言った。

「・・・何か?」

「・・・息子さんですか?」

「そうだけど。」

「今、お父さんから『息子は、死んだ。』と、聞かされたんですが?」

「俺は、生きてるよ。」
男は、あっけらかんとした口調で答えた。

「でも、『バイクで転んで、大怪我をした。』と言われたもので・・・。」
それを聞いて、男は大声で笑い始めた。
そして、助手席に座った老人に「ダメだよオヤジ。見ず知らずの人に、そんな話をしちゃ。」と、言った。男は俺に向き直った。

「すいませんね。オヤジ、そんなこと言ってましたか。ご迷惑だったでしょう。大丈夫、俺は“幽霊”なんかじゃないですよ。最近うちのオヤジ、“ボケ”が進んでまして、山で死んだ仲間のことか、俺のことなんかの昔の記憶がゴッチャになってるんですよ。自分がバイクに乗ってたことや、俺とか家族の事は良く覚えているんですがね・・・。」

(そういうことか。)

「中学の時、オヤジのバイクに乗っていてコケたのは本当ですよ。今でも頭に傷が残ってる。でも、死んじゃいません。オヤジは、今でもたまに『バイクに乗りたいって』言うんですが、あの通りの身体だし・・・。」

「毎日、ここに来られるとか・・・。」

「ええ、日課になってます。身体にもいいし、それに家に居ても何もすることが無いから・・・。俺が“送り迎え”してますよ。」
男は、にこやかに笑った。そして俺のバイクを見た。
「ところで、これ、あなたのバイクですか。確かスズキGS・・・。昔、俺も同じのに乗ってましたよ。オヤジが買ってくれたんです。いい、バイクだ。」

「・・・それは、どうも。」

「じゃ、お気をつけて。」
男はそう言うと運転席に乗り込み、エンジンを掛けた。
走り去る軽トラックを見送りながら、俺は不思議な感覚とともに安堵感のようなものを感じていた。
振り返ると、共同浴場の大きな屋根の向こうの雲が切れて、青い空がのぞいていた。

急に、息子の顔が見たくなった。

そして、帰ったら、こう言ってみよう。

「たまには、俺の後ろに乗るか?」

(もちろん、答えは決まっているが・・・。)




たった一人のバイク乗り−Hi teacherA 2010年05月13日(木)
<ご面倒ですが、@よりお読み下さい。>


翌週の日曜、朝早くバイク屋に行った。

俺とヤツの他に馴染みの客が二人来ていた。この二人とは、ずいぶん久しぶりの顔合わせだったが、バイクの腕は確かで気のいい奴らだった。
しばらく世間話をしていると、先生が最後に現れた。彼女以外は、いい年をしたオヤジの集団だが、それを気にする様子はなかった。

“同志”が簡単に今日のルートを説明すると、先生は皆に「よろしくお願いします。」と言って、頭を下げた。

俺達は、連なって店を出発した。
アイツが“ハナ(先頭)”で、俺が“トリ(最後)”。先生は、俺のすぐ前を走った。
環八を小一時間走り第三京浜に入る。保土ヶ谷PAをパスして横浜新道を抜け国道1号へ。1号線は時折渋滞していたが、西湘バイパスに入るとそれも無くなった。

季節は初夏だった。
晴天でどこまでも高い空が心地よい、絶好のツーリング日和だった。左手に海が大きく広がり波は静かで、風も凪いでいる。潮風がヘルメットの下から入り込んで、頬のあたりを軽やかに通り過ぎて行った。

ここまで走って、俺はあることに気がついた。
アイツをはじめとして、先を行く男どもは、走ることに関しては“どん欲”だった。ツーリングとなれば、競うような走り方をするくせに今日は違っていた。なんと、先生に気を使って走っている。きれいな“千鳥隊列”を組み、信号の手前でしっかり余裕を持って止まる。無理な車線変更はしない。コーナーもゆっくり。高速も100km/h前後で走る。

ただ、前を行く先生の走りを見る限り、そんな男どもの気遣いは無用であるように思えた。黒いセパレートの革の上下と白いフル・フェイスが、小柄な体にもバイクにも似合っている。そして古いバイクを完璧に乗りこなしていた。パワーは現代のバイクの比ではないが、シフトとアクセルを巧みに操り、軽やかに走っている。小気味よいバーチカル・ツインの音に引き込まれそうだった。

バイパスをしばらく走り、おなじみの西湘パーキングに入る。バイク専用の駐車スペースには数台の先客がいたが、車の数の方が圧倒的に多かった。セダン、ステーションワゴン、ワン・ボックス・・・、家族連れが目立つ。



バイクを降りると、男どもは思い思いの方向に散っていった。トイレに行く者、売店に行く者。オヤジと俺も売店に入り、コーヒーを買った。先生は海沿いの展望台に上がっていった。俺達も煙草を吸うため展望台に上がり、パラソルの開いたテーブルに腰を下ろした。
先生は展望台の手すりに寄りかかり、遠く海を見ていた。
ここからの眺めは良い。道と海岸線が絶妙のコントラストを見せている。

煙草を吹かすと、横に座ったヤツが言った。
「どうだい、調子は?」

「まあ、まあ、だな・・・。」

「オメーは、いつもそうだな。」

「なんだか今日は、いつもと様子が違う。優しく走るオヤジが増えたようだが・・・。」

ヤツは笑った。
「なんだ、良く分かったな。」

「分からないわけが無い。」

「ところでよ、先生はどうだい?」

俺は少し考えて答えた。
「・・・いいバイク乗りだな。美人だし、うまい。」

「俺も、そう思う。でもな、ちょっと問題があってよ。」

「なんだ?」

ヤツの目が、いつもとは少し違って見えた。

「先生な、教師を辞めたいらしいんだ。それにバイクも“降りる”つもりらしい・・・。」

「なんで?」

「こないだ、うちにトラを持ってきた時言ってたんだが、学校でいろいろと問題があるようなんだ。」
ヤツは、煙草を深く吸って続けた。

「クラスに手癖の悪い男子生徒がいて、ちょくちょくいろんな物が無くなるらしいんだ。ああ、もちろんオメーの息子じゃねえよ。そいつ手癖も悪いが、悪知恵も働くらしくて、なかなか“しっぽ”を出さなかったが、ある時女の子が泣いて訴えたんで、先生たまらず、その生徒を問い詰めた。その時は、ちゃんとした証拠もあったらしい。そしたら生意気なヤツで反発しやがった。けじめは大事だったから、その生徒を先生は殴った。そしたら親が怒鳴り込んで来て、『校長だの教頭だのを出せ、暴力教師を辞めさせろ。』って息巻いた。」

「先生は、ちゃんと理由を説明したんだろう。」

「もちろんさ。でも、聞く耳もたなかったらしい。」

「『うちの子に限って、そんなことは・・・』ってことか?」

「ああ、そんなところだ。・・・その子、以前は勉強もかなり出来て学年でもトップ・クラス。性格も明るくて“いい子”だったそうだよ。でも何が原因だか分からないが少し前から成績も下がっちまって、素行も悪くなったそうだ。無断で学校をサボって、街中をうろうろしているのを見たって者もいたよ。呆れたことにその親、しまいには成績が下がったことも先生の責任だと言ったらしく、転校させるだのなんだの言ってたそうだ。でも先生は“頑として”自分のしたことは正しいと突っぱねたそうだがな。」

「なるほど・・・。」

彼女は“まともな教師だ”と思った。それは、彼女の父親譲りのことかもしれない。

U村先生は良いことは良い、悪いことは悪いとハッキリとけじめをつける人だった。悪さをした生徒を時に怒鳴り、殴りつけることもあったが、なぜそうしたのかを分かるまで教えてくれた。しかも、それを生徒全員の前でした。

先生が“生徒を殴る”ということは、今なら勇気のいることだ。俺達の時代でも一部の親からは殴ることで反感を買っていたとも思う。事実ある親が自分の子供が殴られたと言って、怒鳴り込んで来たことがあった。その時先生は、毅然とした態度で向き合い、自分の主張を決して曲げることはなかった。先生は真剣だった。
真剣であることが、子供達にも親にも伝わり信頼が生まれていた。

今の時代、どれほどの親が“自分の子供の卑”を認め「この子が悪い」と言えるだろうか?
そして悪さをした時に「真剣に怒り」、時に「殴る」だろうか?
俺はある(あった)。もちろん無条件にではないし、頻繁にでもない。子供が小さい頃は、殴る必要はない。真剣に怒るだけでいい。でも、物事の分別が分かる歳になったら、必要な場合がある。
その時俺は息子に自分のした「悪さ」をきちんと説明させ、それから一発だけ殴った。
(殴った手の痛みが、しばらく続いたが・・・。)
「DV」や「虐待」が社会問題となっているが、それらの親は過去に真剣に怒られたり殴られた経験がないか、「怒り方」「殴り方」を知らないのだと思う。

ヤツは短くなった煙草の火を消し、続けざまにもう一本咥えた。

「子供が子供なら、親も親よ。なんだか金持ちらしいがね、塾だの家庭教師だの付けていろいろとやってたようだが、とんでもない“モンスター”らしくて、方々でいろんな“噂”があるよ。」

「お前、やけに詳しいな。」
俺は、感心して言った。

「ばーか、オメーが無頓着すぎるんだよ。これでも俺も“親”だ。カミさんや娘から、色々と聞きたくも無い情報が入るのさ。」

(そうだ、コイツの娘は息子と同じ学校で隣のクラスだった。)

「もちろん、その事だけじゃなくて、いろいろあるらしいが、でもよ今の学校は教師に責任をとらせたがる。」

「辞めさせようとしてるってことか。」

「あからさまには言わないらしいが、何となく匂わせて、辞表でも出せってことさ。
それに、オメーも知ってる通り、先生はバイクで学校に行ってるだろ。それも問題らしい。
校長が頭の固いヤツらしく『教師が、危ない物に乗ってるのは教育上よろしくない』とか『暴走族のまねごとのようなことをしているから、生徒に手を上げるんだ』とか、言ったとか、言わなかったとか・・・。」

「時代遅れだな。」
俺は、はき捨てるように言った。

「まあっ、“三ナイ”の厳しい時代を過ごした教員らしくて、分からないでもないが・・・。女先生は、こう言ってたよ、
『父はこのバイクが好きで長年の友でした。私がバイクで学校に行くのは、父親と一緒に行くことなんです。教師である自分をしっかり見てほしい。』ってね。」

「教師を辞めれば、バイクに乗る理由も無くなるわけか・・・。」

「そういうことだな・・・。まあっ、そんなんがあって“先生を慰める会”が立ち上がって、ツーリングを企画したってわけよ。」
ヤツの言葉の最後は少しおどけた調子だったが、寂しげでもあった。俺はそれに応えず、黙っていた。

「さあっ、そろそろ行こうぜ。」
ヤツは、同じ言葉を少し大きな声で先生にも向かってかけた。海を見ていた先生は、名残惜しそうに手すりから離れ、こちらに歩いて来た。こうして改めて彼女を見ると、どこか幼さが残る顔にU村先生の面影があった。

俺達は、並んで駐車場に向かって歩いた。
その間ヤツは、楽しげな素振りで先生に何かを話していたが、俺は黙ったままだった。
気のきいた言葉など、口からは出なかった。

駐車場にはすでに他の二人がいて、準備をしていた。
その時、先生のバイクの後ろから、小さな子供が飛び出した。5歳くらいの男の子で、俺達が近付くとチラリとこちらを見たが、すぐに“トラ”の前に立ちじっとそれを眺めた。背丈は“トラ”のシートぐらいだろうか、前輪がやけに大きく見えた。少し栗毛色した刈り上げ頭が愛らしい。俺は、その子に近づき声をかけた。

「どうした、坊主。・・・バイクが好きか?」
男の子は俺を見上げたが、すぐに視線を前に戻し、そして言った。

「この、おーとばい、おじさんの?」

「いやっ、俺のはコッチだけど、これの方がいいのかい?」

「これがいい。このおーとばい、かっこいい・・・。」

俺は、しゃがんで男の子の目線に合わせた。丸く黒めがちな目が、好奇心と少しの不安で溢れていた。
「そうか、カッコいいか。君はバイクに乗りたいのかい?」

男の子は大きく頷き、そして言った。
「かっこいい、おーとばいがすき。ぼくもこんなおーとばいにのりたい。」

「それは、すごい事じゃないか。ところで、このカッコいいオートバイに乗るためにはどうしたらいいと思う?」

「わからない。」
男の子は少し困った顔をして、こう答えた。

「そうか、じゃあ、おじさんが教えてあげる。
まず、ご飯を一杯食べて大きくなれ。友達と仲良く遊べ。それから勉強もたくさんするんだ。好きなことはもちろんだが、嫌いなことも嫌がらず、どんなこともしっかり勉強する。
バイクに乗るには、字が読めたり、書いたりしなきゃならない。君は字が読めるか?」

「まだ、すこししかできない・・・。」

「大丈夫だ。お父さん、お母さん、先生の言うことを良く聞いて、これから一杯勉強すればいい。そして、悪いことは絶対にするな、嘘もいけない。・・・君は、嘘をついたことがあるか?」

「ちょっとだけ、したくなるときがある。」

俺は、笑った。
「正直でいい。人間は苦しくなると嘘を言うが、バイクに乗る人間が嘘をつくと大変なことになる。」

「どうして?」

「嘘つくことは、自分をだますことだ。いつも自分をだましている人間が、バイクに乗ると危ないことをたくさんするようになる。このくらいのスピードなら危なくない、こんなことをしても大丈夫だ。危ないことをしても警察に捕まらなければいいって考えるようになり、しまいには人に迷惑をかける。人を傷つけてしまう。嘘をつき続けることなんて、できやしない。そうなるとバイクに乗れなくなるばかりか、誰も相手にしてくれなくなる。それは寂しいことだ。悲しいことだ。でもそんな時でも助けてくれる人が必ずいる。その人は良いことばかりを言う人じゃ決して無い。甘やかして何でもしてくれる人じゃ無い。悪いことを叱ってくれる人だ。『嘘をつくな』と怒ってくれる人だ。それはもしかしたら、君の親じゃないかもしれない・・・。でも、君のことを真剣に考えてくれている人だ。だから、怒られたら素直に謝れ。」

「わかった。」

「・・・そして、もう一つ大事なことがある。一度決めたことは最後までやり抜け。誰が何と言おうと、自分の考えを信じろ。バイクに乗りたいと思ったら、最後までその思いを持って頑張るんだ。それが“カッコいいバイク乗り”になる事さ。・・・少し難しいか・・・。」

「うん、なんとなく、わかる。・・・ぼく、がんばる。」
男の子の笑顔が、初夏の日差しの中できらきらと輝いていた。

遠くから男の子の名前を呼ぶ女性の声が聞えた。彼は、そちらに向かって駆け出し、そして途中で一旦立ち止まり、こちらに振り向くと大きく手を振った。

「ぼく、がんばる。」
しっかりした声が耳に届いた。

「可愛いですね。すごいエネルギー・・・。」
俺の隣に立っていた先生が、ポツリとつぶやいた。

俺達は、再び隊列を組んで走り出した。走行車線をゆっくりと、景色を楽しみながら。
小田原ICに近づくと、一台のワン・ボックス・カーが追いついてきて、追い越し車線に並んだ。広いガラス窓の奥に、あの男の子が乗っているのが見えた。
男の子は窓越しにこちらに向かって手を振っている。楽しそうに。
俺は手を上げ、先生もハンドルから大きく片手を上げてこれに応えた。
俺達は早川付近で箱根方面に向かい、ワン・ボックスは熱海の方へ直進して行った。

ターンパイクの入り口で料金を支払うと、業を煮やした男どもは、我先にとコーナーに突っ込んでいった。
(本性を見せやがった。)
俺も後を追う。バック・ミラーの中で先生の姿が小さくなっていったが、気にしなかった。
高度が上がるたびに、コーナーの向こうに相模湾が見え隠れし、久々のワインディングが気持ち良かった。大観山のレスト・ハウスまで、それこそ“あっという間”だった。

レスト・ハウスの駐車場は、たくさんのバイクで溢れていた。男どもは並んでバイクを止めたが、先生はまだだった。俺はレスト・ハウスの2階から続く展望台に上がった。
芦ノ湖の向こうに薄く富士山が見えた。

「きれい。すごく気持ちいいですね。」

振り向くと、いつの間にか先生が立っていた。俺はおどけた調子で手を振った。
先生は俺の横に並び遠くの景色を眺め、そして言った。

「私、学校を辞めようかと思っていたんです。」

俺は、何も知らないフリをして「えっ」と驚いて見せた。先生は続けた。

「いろいろあって、どうしようかと悩んでたんです。もちろん息子さんが卒業するまでは投げ出すつもりはなかった。その後は・・・。」

「・・・そうですか。・・・何があったんですか?」

「クラスで問題を起こした子がいて、私、叱ったんです。
でも、それが良かったことなのか悪かったことなのか、分からなかった。
そして、なぜその子が“問題を起こすようになったのか”も分からなかった。でも、それが何となくですが“分かった”気がします。」

「・・・と、言うと。」

「彼は、私に“助けて”欲しかったんだと思います。
助けて欲しいけど、それを伝えたいけど、それができなかった。
体は大きくなっても心はまだ子供ですから、どうしていいか分からなかった。
そして何か問題を起こすことで“自分という存在を”“自分が困っていることを”“助けて欲しいことを”私に訴えたんだと思います。
彼を叱ったことを後悔しません。もう私は悩みません。
結果はどうなるか分かりませんが、もう少し頑張ってみようと思います。
私は教師ですし、子供が好きだから。
子供が笑うと、あんなに素敵だと改めて思えたから。」
それは、ハッキリとして力強い言葉だった。

そして、
「今日は、ほんとうにありがとうございました。」
と言った。


「なんだ、なんだ、不倫の相談か。」
不躾な調子で、ヤツが近付いてきた。

「そんなんじゃねえよ。」

「私もそのつもりはありません。」

「なあオメー、先生には“彼氏”がいるんだよ。かなりの“イケメン”のな。ねえ先生、先生の彼氏もバイクに乗るのかい?」

「いえっ、乗りません。・・・でも、これから私が教えます。バイクの楽しさを、素晴らしさを。そして皆さんのような“カッコいい”バイク乗りになるように頑張ります。・・・なんたって私、教師ですから。」

「おお、それは頼もしいや。でもね先生、俺もコイツもただのくたびれたオヤジで、全然“カッコよく”なんかないんだよ。」

(余計なことを言う。)




たった一人のバイク乗り−Hi teacher@ 2010年05月10日(月)
サラリーマンの生活とは“あたりまえの日常”を、退屈せずにどう過ごすかだと思うときがある。
若い頃は色々と考えるが、最近はそれもあまり無い。もちろん仕事となれば話が違うが・・・。
毎日決まった時間に家を出て、同じ道を駅に向かう。混み合った電車で小一時間揺られオフィスヘ。上司の小言と部下の愚痴を聞き1日が終わることもある。同僚とたわいのない話をし、時には少し“飲んで”家路につく。

世の全ての人々がそうだとは思わないが、1日のスケジュールは似たり寄ったり。
朝の通勤の途中、道ですれ違う人々や行きかう自転車・車の面々は、ほぼ決まっているからそう感じてしまうのかもしれない。

そんな中で、やはりバイクには目がいく。スクーターは別にして、大型のバイクであればなおさらだ。ここ何年か朝の同じ時間に英国T社製の伝統あるモデルが駅の方から上がって来て、同じ場所ですれ違う。よほどの大雨でも無い限り、あきれるほど正確に走ってくる。

季節により着ているウェアは違うが、ヘルメットは同じ白のフル・フェイス。スモーク・シールドで顔は分からないが、乗っているバイクに比べライダーは若そうに見えるが・・・。
あれこれ考えても、退屈な日常のワン・シーンでしかない。

(どんな“ヤツ”なのか?)
(まあ、接点を持つことは無い。今までも、これからも・・・)


晩飯の時、珍しく2杯目のビールを俺のグラスに注ぎながらカミさんが言った。

「ねぇ、ちょっとお願いがあるんだけど。」
少し声が甘ったるかった。

「何だい?」

「今度の土曜日、お休みよね。」

「ああ、そうだけど。」
(どこかに、出かけたいのか?)

「学校で、二者面談があるの。それでね・・・。」

「俺に出ろってことかい?」

「そう。ほら転勤してたN村さんが戻ってくるって言ったじゃない。それが急に土曜になったのよ。4年の海外暮らしで、右も左も分からない状態じゃない。いろいろ手伝って欲しいって言ってきて。ご近所さんだし、それにあそこのM男ちゃん、うちのと同い年で仲良かったし、戻ってきたら同じクラスになるかもしれないから・・・。」

息子は、ソファーに寝そべりTVを見ていた。お笑い番組をやっていて、時折笑い声を上げていたが、俺たちの会話をそれとなく聞いているようだった。

「でも、あいつも6年生だろ。二者面談と言えば進路の話とかでるだろう。俺は何も分からないぜ。」
そうだ、息子も今年が最後の小学校生活だった。

「何言ってんのよ。あなたも父親でしょう。息子のことぐらい良く把握してよ。まあ、担任の先生はいい人だから大丈夫よ。よく話を聞いてきて。お・ね・が・い。」

俺は、少し考えて言った。
「分かったよ。」

確かに、子供のことを知らないのはまずい。バカなことをしていないか聞いてこよう。それに学校に行くなど久しぶりのことだった。自分も卒業した学校が今、どういう状態なのか見るのも悪くない。

「担任の先生、女性よ。しかも若くて美人。」
(そんなことは、聞いてない)
カミさんは、ニヤリと笑った。息子の笑い声がいっそう高くなった。


土曜日、午前中から学校に行った。何年ぶりだろう。
正門をくぐり敷地内に入ると、すっかり校舎も新しくなっていたが、体育館や建物の配置は変わっていない。前庭に池が有って、その横には古めかしい「二宮金次郎」の銅像が建っている。これも昔のままだった。
通用口の下足箱の配置も懐かしく感じたが、全体のサイズが小さいことに少し驚いた。そこから教室に続く廊下の所々に生徒の描いた絵や研究発表と称する作文、遠足の写真などが貼りだされていた。教室の前にはもう何人かの保護者が居て、ガラス越しに廊下から授業の様子を見ていた。今日は、授業参加も兼ねている。

俺は、廊下から教室内を見た。もちろん、中で見てもよい。
教室のほぼ中央にアイツ(息子)が、神妙な顔で座っていた。家にいる時より真面目そうだった。黒板の前に若い女性の先生がいた。なるほど、美人だ。

ほどなく授業は、終わった。
子供たちは帰り支度を始め、終わった者から教室を飛び出してきた。息子も二人の友達と肩を並べて出てきた。背が高くなった。ランドセルが小さく見えた。
俺に気付くと「おっ」と言って、二コリと笑ったが、すぐに友達とワイワイ何かを話しながら出口に向かって歩いていった。

先生が教室から出てきて、保護者に挨拶をした。隣の教室で待つよう告げた。
「二者面談」が始まった。子供の氏名の順に呼ばれるから、真ん中ぐらいだろう。座って待つ間、教室の椅子がやけに小さい。俺以外は全員母親で、親しい者どうしが二・三人でグループになり何事か話していた。

(いかん、煙草が喫いたくなった)、緊張しているのか・・・。余計なことを口走らないよう注意せねば。

先生が呼びに来て、俺の順番がきた。

対面に座る先生は、横の机にミドリ色のファイルを置き、右手にペンを握っている。
遠目より更に若く見える。紺色の上下スーツ姿で、すらりと伸びた長い足が以外に短いスカートからのぞいていた。ショート・カットの黒い髪、小ぶりな顔立ちで、目鼻も小さいが彫が深くハッキリしている。確かに“美人”だったが、伏せ目がちでどこか疲れているようにも見えた。わけの分からない多数の保護者の相手をすることは、教師の神経をすり減らすのだろうか・・・。
そんなことを考え、こんな時はどう切り出すべきか迷っていると、先に話しかけてきた。

「S谷君のお父さんですね。・・・いいお子さんです。特に問題はありません。」
ハッキリとした口調だったが、目はどこか遠くを見ていた。

「ハアッ・・・。」
ふいを突かれ、そうつぶやいた。

「勉強も良くできますし、活発です。他のクラスメイトの信頼もあつく、今学期はクラス委員をやってもらってます。」
先生は少し目を伏せて、そして机のファィルを開いて続けた。

「小学校も高学年となると個性的な子供が多く、自己主張も強くなります。それに、進路の問題からストレスを抱えたりする子もいます。何か行事があってクラスで出し物を決めなければいけない時など、まとまらない事が多いのですが、彼は皆を引っ張ってまとめてくれます。正義感とか使命感が強いんですね・・・。ある意味、私は助かってます。」

そんな才覚が、あいつに有るとは少し以外だった。学校での子供の様子などあまり気にかけたことはなかったが、こういう場で褒められるとやはりうれしいものだ。

「そうですか。それは、ありがとうございます。母親には学校のことを良く話しているようなんですが、私はトント無頓着で・・・。そんな才能が、あいつに有るなんて・・・。」

(まずい、しどろもどろになっている)
そんな俺の様子を察したのか、先生は少し笑顔を見せた。

「いえいえ、ご家庭がしっかりしているから、それがお子さんに現れるのだと思います。ほったらかしもいけませんが、過剰に子供に干渉することもよろしくない。バランスの問題です。子供はご両親の背中を見ています。ご両親の会話を何気に聞いています。自分にどれほど愛情を注いでいるのか、どれほど自分を信頼しているのかを見ています。お母様の役割、お父様の役割がしっかりしているご家庭は、子供の行動を見ればすぐに分かります。・・・ただ最近は、そのバランスが崩れているように思いますが・・・。」

「と、いいますと・・・。」

「ご両親ともに、子供に対し過剰に干渉することが多いように感じます。子供は期待されれば、それに応えようとする。でも、そのプレッシャーに耐えられる年齢でも無いし、ましてや経験もありません。やがてプレッシャーが蓄積して、どうしていいか分からなくなってくる。全てを投げ出したくなってくる。・・・当然ですよね・・・。」
先生は、少し悲しげだった。

「ええっ、何となくわかります。大人の世界では良くあることだが、子供にはまだ無理な部分がある。」

「そんな子供の行動を親は理解できず、親は右往左往します。・・・全てではないのですが、責任を転嫁する親御さんも・・・。」
言葉が途切れた。
長い沈黙は、好きではないが・・・。

「・・・お疲れですか?」

「いえっ、そんなことは・・・。ご免なさい。こんなことお話してもしかたないですよね。」
先生は気丈な素振りを見せ、笑った。

「ところで、お子さんの進路ですが、ご家庭ではどう話されてますか?」

「はあっ、特にこれといった話は聞いてませんが。」
事実、カミさんからは何も聞いていなかった。

「成績からすれば私立(中学)の高いランクの学校も狙えます。」

(そんなに、いいんだ・・・)

「そうですか。それは、それは、先生のお墨付きがいただければ、これから良く話してみます。」

「そうして下さい。」
先生は、少し呆れた顔を見せた。


人気の無い校門をくぐると、すっかり夕方だった。校庭をぐるりと囲むフェンスは、目の高さほどで、それほど高く無い。それに沿って歩いて行くと、大きな桜の木があった。この木は俺がガキの頃も巨木で、あまりの太さからフェンスを途切れさせ、道にはみ出している。
その根元に1台のオートバイが停まっていた。黒光りする車体に見覚えがあった。
それはまぎれもなく、毎朝通勤途中に出会う英国T社のオートバイだった。シート横のヘルメット・ホルダーに、あの白いフル・フェイスがあった。

俺はしばらくの間、そのオートバイを眺めた。近くにオーナーが居るのかも定かではないし、仮にやって来たら、何かを“話す”だろうか?
(「いつも、あの道を走ってますね。」「いいバイクですね。」「よく手入れされている。」)
単なる好奇心。ありきたりの世間話はしたくない。
俺は、その場を離れ、家に向かった。

翌日の日曜日、俺は遅く起きた。リビングのテーブルにメモがあった。
カミさんと息子は、転勤から戻ってきたNさんの家に手伝いに行ったことが書かれていた。
昼過ぎに、なじみのバイク屋に出かけた。注文していた部品が届いたと連絡があったからだ。歩いても10分程度のところだが、天気も良かったのでバイクを出した。

このバイク屋のオヤジとは幼なじみで、小・中・高校も一緒だった。
父親の代にバイク屋をはじめ、ヤツは二代目。オートバイというものを俺に教えてくれたのはヤツの父親だし、高校の頃学校には内緒でヤツと一緒にバイクの免許を取りに行った。
その先代も俺達が二十歳の頃他界し、ヤツが後を継いだ。

俺達は、ガキの頃からつるんで“可愛い悪さ”を繰り返していた。その度に互いの親は、学校から“呼び出し”をくらい、その後は“適度なお仕置き”を頂いた。「親友」という言葉は、当たらない。「同志」という言い方が適切かもしれない。

俺は店の前にバイクを停めた。ヘルメットをシートの上に置いて店に入る。
入口の左右にミニ・バイクとスクーターが並んでいる以外、特に特徴の無い店構えだが、中は結構広いスペースがとってある。国産各社のロード・モデルと中古車が数台右手に並んでいて、その奥に4人がけのソファー・セットと客を相手する簡単なカウンター・テーブルがある。
店内には、誰もいなかった。いつ来てもそうなので、別に気にもしない。
整備のガレージは店の裏手だから、アイツはそこに居るに違いない。取り立てて急ぐわけでもないので、ソファーに腰を下ろし煙草を吸った。

しばらくすると奥から油まみれの手をウエス拭いながら、アイツが出てきた。

「おうッ、来てたのか。あんまり顔を見ないから、空の彼方にでも飛んでっちまったかと思ってたぜ。」

相変わらず遠慮の無いヤツだった。俺はヤツに向かってニヤリと笑った。その時、ヤツの後ろからもう一人現れ、俺は思わず声を出した。

「あっ、先生・・・。」

それは、まぎれもない息子の担任だった。俺はあわてて煙草を揉み消した。先生は、最初俺が誰か分からなかったようだったが、ハッと気づくと軽く会釈をした。

「何だ、知り合いだったのか?」
オヤジは、俺と先生の顔を交互に見ながら言った。

「知り合いも何も、息子の担任の先生さ。昨日学校で会ったばかりの・・・。」

「おお、そうかい。それは奇遇だな。」

「昨日は、どうも・・・。」
先生は、言葉少なに言った。生徒の保護者と出会うには、あまり相応しくない場所かもしれないが、とうの本人は全く気にしていないように見えた。

「昨日会ったって、何だよ。不倫か?」。

「ばか。そんなんじゃねえよ。昨日は息子の保護者面談だったのさ。」

「ハハハッ。何あわててんだ。先生、俺とこいつは幼馴染みでね。いわゆる“悪ガキ仲間”さ。こいつもバイクに乗るんですよ。」

「そうですか。・・・昨日はご家庭で話をされました?」
先生は、少し笑って言った。

「いやっ、まだです。家内と息子は、朝から出かけてしまって・・・。」
いかん、少し動揺している。それを察するように、先生は穏やかな調子で言った。

「まだ時間がありますから、ゆっくりとお話なさってください。」
そして、先生はオヤジに向き直って、
「・・・あっ、私、今日はあまり時間が無いので、これで失礼します。」

「そうですか。こんなところで保護者会の続きをやってもね・・・。」
ヤツが笑いながら言った。そして、こう続けた「お預かりしたモノは、金曜には“あがり”ますよ。代車を用意します。」

「それは、どうも。」

先生は、オヤジに促され店の前に出た。俺も後に続いた。先生の手には白いフル・フェイスのヘルメットがあった。1台のスクーターが引き出され、オヤジがエンジンを掛けた。
その傍に、俺のバイクがあった。

「これ、“お父さん”のオートバイですか?」
先生は、俺のバイクを見ていった。

「ええっ、そうですが。」

「S社のGS・・・。いいバイクですね。」

「ハハッ、コイツと同じでトコトン“くたびれて”ますよ。」
(余計なことを言う。)

先生はヘルメットを被り、軽く会釈をしてスクーターを走らせた。俺達は50mほど先の信号でスクーターが左折するのを見送り、店の中に戻った。
ソファーに座り、煙草に火をつけた。深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
オヤジがコーヒーを出してくれた。一口すすって、俺はオヤジに聞いた。

「先生、何しに来たんだ?」

「何しにって、バイク屋に来たんだから決まってるさ。・・・バイクの修理さ。」

「あの先生、バイクに乗るのか?」

「ああっ、もちろんさ。オメーもさっき見たろう。先生がスクーターに乗るとこ。」
そんな、ことを聞いているのではない。

「何、乗ってんだ?」

「気になるか。」

「ああ、気になるね・・・。」

「じゃあ、見せてやるよ。・・・こっち来な。」

俺達は、奥の整備場に向かった。何度も来たことがある整備場の中央に黒いオートバイがあった。英国T社のクラッシック・モデル。それは、昨日学校の傍で見たのと同じモノだった。(先生のだったのか・・・。)俺は声に出さず、そう思った。

「ジェネレーターがオシャカでよ。今朝、先生が持ってきた。」

昨日見たときは気付かなかったが、細部まで磨きこまれ、ほれぼれとする輝きを放っていた。使い込まれた車体だったが、エンジン、ブレーキ、サスペンション、そのどれもが良く整備されていた。

「こんな古いモデル、直せるのか。」

「たまたま部品があったから、何とかなるね。・・・オメーのGSよりましさ。」

「あの先生が、これ乗ってんだ・・・。」
俺は、自分自身で確認するように言った。

「ああっ、そうさ。ところで、このバイクに見覚えねえか?」

「昨日、息子の学校の近くで見たよ。」

オヤジは、半ばあきれた顔をしてこう言った。
「バーカ、何言ってんだ、良く見ろ。・・・これは、U村先生のバイクさ。」

「・・・U村先生って、俺とお前の小学校の時の担任のか?」

「そう、俺とお前が散々迷惑かけた先生のバイクさ。あの女先生は、U村先生のお嬢さんだよ。先生は5年前に亡くなって、お嬢さんが形見に譲り受けた。・・・U村先生は、俺の親父の代からのお得意さんでよ、たまにコイツをここで整備していた。高校ぐらいまでは月1で来てたんだぜ。」

「・・・そうか。」
これは、U村先生のバイク・・・。俺は、しばらく黙ってバイクを眺めた。
その時、オヤジが俺に向き直って言った。
「ところで、オメー、来週の日曜、暇か?」

「・・・特に予定はないが・・・。」

「そうか。じゃあ、たまにツーリングに行かないか。このバイク、金曜にはなおる。あの女先生を誘って箱根の方に行くことになってんだ。」
ヤツは、ニヤリと笑った。別に意味は無い、それがコイツの癖だった。




Aに続く。


たった一人のバイク乗り−Old wound− 2010年03月05日(金)
まだ学生の頃、二つ年上の女性の先輩から夏休みに帰省するので、途中まで行かないかと誘われた。
学部が一緒とかサークル仲間というわけではなく、たまたまバイクでキャンパスに乗り付けた時、駐輪場の隣に止まっていただけで知り合いになった人だ。
それ以来、校内で見かけると学食や図書館で話をした。バイクの話がメインだったが、友人のことや将来のことなど、たわいのないことを。
バイクに乗る者同士、大学生活という退屈な日常の“うさ”をぶちまける仲間という意識で、恋愛感情に発展する可能性はなかった。
しかし、彼女は充分に魅力的な人だった。
日本的な美人で、肌は透き通るように白かった。細面で切れ長の目、キリっと通った鼻筋、薄い唇、ストレートに長い艶やかな黒髪。身長は高い方ではないが、程よい胸の隆起と適度にくびれた腰周りに、いつもタイトなブラック・ジーンズを履いていてスタイルも良かった。
初対面の印象は、少しとっつき難いと感じるかも知れないが、話し始めるとそれは払拭された。時折見せる笑顔は幼さの残るもので、コケティッシュで人懐こい。話題は豊富で、知的でもある。そして何よりも彼女は、オートバイが好きだった。
いやっ、「好き」と言うより「愛して」いた。



その時俺はバイトして手に入れたS社の400ccに乗っていたが、彼女は大型二輪の免許を持っおり、愛車はY社の大型モデルだった。
バイクに乗る女性は当時でも珍しくは無かったが、俺はそれまで東大の入試以上と言われた「限定解除」という難関をクリアし、しかも当時最強と言われたマシンに乗る女性を見たことはなかった。
そのことがあるからか彼女と話をする時、少し畏怖と畏敬の感情を持っていたが、当の本人はそんなことは全く「意に介さず」、俺と接していた。
彼女がなぜバイクの免許を取ろうと思ったのか、限定解除にどのように挑戦しどうそれを克服したか、バイクを選ぶ際に何を考えたか、走りは、ツーリングは、家族は、仲間は・・・。
彼女の嗜好・思考・主張・行動が、「バイクを愛する」という一点に集中し、全てが明確で気持ちが良かった。小気味良く、自分もそうありたいと憧れを抱かせる人物だった。
彼女に比べれば、自分の考えがいかに稚拙であるかが分かった。

彼女の実家は日本海沿いのT市で、途中まで関越道を使うことにした。
夏休みが始まって数日後、俺達は高速の入口近くで待ち合わせした。
早朝現れた彼女は、赤をベースに白いストライプが入った革製のレーシング・スーツを着ていた。バイクのカラーとマッチしていて、良く似合っていた。

高速を走る彼女の姿は、それはそれはホレボレするものだった。早い切り替えしから、次々に前方の車をパスし走っていく。俺のバイクとはエンジンもシャーシも別次元のものには違いなかったが、危なげなところは全くなくバイクの性能を充分に引き出して走っていた。

俺はそんな彼女の後を付いて行くのが“やっと”だったが、彼女は俺に対する“気遣い”を忘れることはなかった。性能と技量の差を理解し、決して自分だけが先に行くことはなかった。それが分かると、未熟な自分に腹が立ち、申し訳ないという気持ちが湧き上がってきた。そしてそのことを彼女には気付かせたくないと思った。彼女にしてみれば、俺は弟のような存在だったのかもしれない。

俺達は、高崎ICで高速を降りた。そこから国道経由で軽井沢に向い、俺はそこで分かれることにしていた。国道18号に入り、高崎市街を抜け妙義山の近くを走る。安中を過ぎると辺りはスッカリ山間を縫うワインディング・ロードとなった。気温は高めだったが天気は上々で、雲一つ無い夏の空が広がっていた。片側一車線の国道は、交通量も少なく快適だった。

峠の釜飯で有名な横川を過ぎると、道は登りの急坂とコーナーが連続するようになった。
群馬県と長野県の境となる碓氷峠だ。本格的な峠道に入ると、彼女のランディングはますます際立った。コーナー手前での的確なブレーキングからシフト・ダウン。体重移動もオーバー・アクションにならず程よい動きで何の危なげも無く倒しこむと、そのまま早いスピードで抜けていく。右に左に、まるでダンスを踊るように軽やかな仕草だった。マシンと一体化したその姿は、まるで俺に対し「バイクとは、こう操るのよ」と、教えてくれているかのようだった。
彼女との距離が開きだした。どんなにアクセルを開け、ブレーキ・ポイントを遅らせ素早いシフト・チェンジを行なっても、スルスルと離されて行く。
しかも、登坂専用車線のある急勾配で、左から来たトラックに前方をふさがれた。
トラックのスピードは遅かった。ディーゼル・エンジンなのか黒い排煙を噴出し、巨体を揺らして急坂を登っていた。
俺は、焦った。前を行くトラックが、この上無く憎らしく思えた。
先を行く彼女はなかなか来ない俺を心配し、どこか途中のパーキング・エリアで待っているかもしれない。
もしかしたら峠を登りきり、すでに高原の風を感じているかもしれない。

ジリジリとした焦燥感が俺を襲い、気が付くと右にハンドルを切り思い切りアクセルを開けていた。
黄色いセンター・ラインを超え反対車線に飛び出した時、前方に迫る黒い影が見えた。
ブレーキを握ったかどうかは分からない。おそらくそんな暇はなかったはずだ。
鈍い音が聞こえ、身体が宙に浮いた。シールドの端に空が見え、次の瞬間硬い地面に叩きつけられた。ヘルメットの中で、ゴツンという音が響いた。
顔は真上を見て、全ての時間が止まっていた。全身が痛かった。いやっ、痛いというより痺れていた。その“痺れ”は暫くすると収まり、今度は全身の血液が逆流するような不快な感覚が襲ってきた。気温は高いはずなのに鳥肌が立ち、身体が振るえた。
まだ、生きている・・・。そう、思えるまで長い時間がたったように思えたが、実際は2・3分程度だったのだろう。
俺は、横たわったまま左右に首を振った。右に倒れたバイクが見えた。片手をついて立ち上がろうとしたが、できなかった。地面に右足を付いた瞬間、力が抜けて再び倒れこんだ。
右足の膝から下に激痛が走った。



「それが、あなたの右足の傷の理由(わけ)なんだ。」
ここまで話すと、カミさんは言った。俺の右足の膝と脛には、古い傷跡がある。

「どうして、今まで話してくれなかったの?」
カミさんの口調は、問い詰めるというほどで無かった。

「君が聞かなかったからさ。」

「まあっ。・・・それって何時頃の話?」

「君と一緒になる10年ほど前のことさ。」

「それから、どうなったの?」

「近くの病院に運ばれて、1日経ってお袋と弟が迎えに来てくれた。それから地元の病院に1ヶ月半入院した。」

「よく死ななかった。」
カミさんの言葉には、少し皮肉めいたものがあった。

「そうっ、医者も言ってたよ。互いに正面からぶつかったけど、スピードはそれほど出てはいなかった。俺は後ろに跳ね飛ばされたから、右足の膝と脛のダメージだけで済んだ。・・・もちろんバイクは、オシャカになったけどね。」

「お母さん、たいへんだったでしょうね。」

「保険の手続とか色々と後始末をしてくれた。親父はカンカンで、半年近く口を聞いてくれなかった。もう、その二人もいないが・・・。」

「それでレーシング・スーツの彼女は、どうなったの?」
その声は、好奇心に溢れていた。

「俺があまりに遅いので戻って来てくれて、病院まで付き添ってくれた。応急処置が終わるまでそこにいたよ。一通り治療が終わって、ベッドに横になっていると彼女がやって来て『じゃあっ、私行くわ。』と言った。もう夕方だった・・・。彼女は、すごく悲しそうな顔をしてたよ・・・。」

少しの沈黙の後、俺は話を続けた。

「地元の病院に入院し、膝の手術を受けた。入院中、彼女が訪ねて来ることはなかった。夏休みを挟んで、10月からリハビリしながら大学に戻った。学校で彼女の女友達に聞くと、大学を辞めたとのことだった。・・・それ以来、会ってない。」

「なぜ、辞めたの?」

「後で知ったことだが、結婚したとのことだった。その時の帰省の理由は“お見合い”だったらしい。彼女の実家はT市でもかなりの名士で、子供は彼女だけ。父親は病気がちだったそうで、旧家のことさ、大学を中退してまでも家を守ることを優先させたのだろう。・・・想像だけど。」

「とんだ“ロミオとジュリエット”て、わけね。」
カミさんが、いたずらっぽく笑った。

「そんなんじゃないさ。俺は、彼女に恋愛感情など持ったことなかった。」
俺は、語尾を強めた。

「怒らなくてもいいじゃない。あなたがそう思ってても、彼女はどうだったかってことよ。」

「・・・つまり・・・。」

「つまり彼女のほうが、あなたに対し特別な感情を持っていたかもしれないってこと。一緒にバイクで途中まで行こうと誘ったのは彼女でしょう。あなたに何かを話したかったのかもしれない。でも結局あなたが事故を起こしたから、それを言えなかった。もしかすると事故が切っ掛けで、彼女の決意が固まったのかも知れないわ。そして自分の気持ちにケリをつけた。当然、そのことをあなたに伝えたくは無かった。ケガをしたあなたに余計な心配をかけたくないって気持ちよ。入院中に訪ねて来なかったのが、その証拠。」

そんなことは、考えてもみなかった。

「昔から鈍い人だと思ってたけど、絶対そうよ。“女のカン”ってやつよ。」
カミさんの言葉には、確信めいた響きがあった。


夜中にふと、目が覚めた。
カミさんは、横のベッドで寝息を立てている。時計は、夜中の4時を指していた。
そっと起きて、ジャケットとヘルメットを持ってガレージに向う。バイクを引き出し、押して幹線道路に出る。エンジンに火を入れ暖気を行なっていると、東の空が薄っすらと明るくなっていくのが分かった。
ヘルメットを被り、国道を走り出す。風が優しい。この時期、週間単位で気温が少しずつ高くなる。もうすぐ春が来る。
国道からバイパスへ、バイパスから環八(環状8号線)に入る。休日の早朝で、交通量は少ない。周囲が明るくなり始め、路面を照らすヘッド・ライトの光が薄くなっていく。
バイクの調子は良かった。連続する排気音にヨドミはなく、車体の反応もスムーズだった。
東名(高速)の入口を過ぎ、国道246号線との交差点を越えると、第三京浜の入口が左に現れた。ウィンカーを左に出し、これに飛び込む。環8の下を潜るため、360度近く回り込んで本線に出る。多摩川に掛かる長い橋が正面に見えたら、一機にアクセルを開ける。
エンジンの咆哮が高まり、背中を押されたように加速していく。
橋を渡りきったところに大きな右コーナーがある以外、第三京浜はほぼ真っ直ぐな高速道路だ。大半が山を切り崩した高架橋を通るため、左右の眺めが良い。
都筑ICを過ぎ、港北ICに差し掛かる。左から一台のバイクが、甲高い排気音とともに上がって来て俺の前に出た。ヴォリュームのある白いフル・カウルの側面に、赤いストロボ・ラインが走っていた。スイング・アームの左右に二本、テールレンズの左右にも二本の排気口が見え、そこから白い排煙が噴き出していた。
俺が後ろにいることに気付いたのか、そのバイクはじけるように加速し始めた。俺もアクセルをあける。すぐに前を行く車に追い付き、追い越し車線に移る。俺も同じようにウィンカーを右に出し、ついて行く。
抜き去ることは、しなかった。いやっ、もしかすると抜けないかもしれない。自分のバイクの半分の排気量500CCとはいえ、2ストロークV型4気筒エンジンの実力は素晴らしいものだと分かっていた。
俺は、前を行くバイクと一定の距離を保った。
後ろから見ると、ライダーの挙動が良く分かる。バイクは古いのに年は若いのだろう、荒削りだが、いいセンスを持っていた。

保土ヶ谷の料金所手前でストロボ・ラインのバイクは左に、俺はそのまま直進した。ゲートからは俺より先に飛び出し、すぐのパーキング・エリアに入って行った。俺も後に続く。
まだ朝も早いので、パーキング内はガラガラで車も少なく、バイクは見当たらなかった。
ここ保土ヶ谷パーキングは、ある意味バイク乗りの“聖地”とも呼べる場所だった。80〜90年代のブームの折りは、週末の夜中などそれは多数のバイクが集まっていた。
最近は、どうなのだろう?

ストロボ・ラインは、正面の売店の前に停まった。
俺が少し離れて横に付けた時、ライダーはすでに降りていて、ヘルメットを取るところだった。乗っていたのは、若い女だった。
少し幼さが残っているが切れ長の目が印象的な美しい娘で、長い黒髪が朝日に照らされ艶やかに波打っていた。女は俺がエンジンを切るのを確かめると、頭を傾げ笑顔を見せた。

「こんにちは。・・・おはよう・・・かな。」
彼女は、再び屈託のない笑顔で俺に話しかけた。俺もバイクを降りた。

「どっちでもいいさ。俺は“おはよう”にしとくよ。」

「変なおじさん。」
彼女は、ケラケラと笑いながら言った。

その言葉に、すこし“ムッと”した。
オヤジには違いないが、面と向かって言われると少し頭にくる。
俺は煙草を取り出し、火をつけた。そして彼女のバイクのそばに行って、正面からそれを眺めた。

「珍しいのに乗ってるじゃないか。これはY社のレプリカ・モデルだろう。もう20年以上も前のものだ。君より歳上じゃないかい。」

「ええっ、私より4歳ぐらい上だったと思うわ。・・・おじさんも古いのに乗ってるのね。これって確かS社のGS・・・よね。きれいなバイク。最近のって、こんな白と青のカラーあまり無いでしょう。昔っぽいけど新しくも見える。・・・素敵だわ。」

(また、おじさんか・・・)

「これはS社のワークス・カラーってやつさ。俺は昔からこの色が好きでね、以前も同じ色の400(CC)に乗ってた。君のだってY社のワークスだ。・・・ところで、これ、どこで手に入れたんだい?」

「これ、私のじゃないの・・・。」

「・・・君のじゃない?」

彼女は、ことのほか深く頷いた。

「このバイクは、もともと母のモノなの。私が生まれる前に母が昔乗ってたらしいんだけど、何かがあって乗らなくなった。ずっと家の納屋にあって、私が高校の時見つけてすごくビックリした・・・。でも何か“引き付けるモノ”があって、免許も無いのに乗りたいって思った。母に言ったら最初は心配そうな顔したけど、『大学に合格したら免許を取って乗ってもいい』って言ってくれた。」

「君は大学生なのか?」

「ええっ、この春から。」
そう言うと彼女は、両手を大きく広げ、すっかり青くなった空に向かって“のび”をした。「気持ちイイ〜。」

「ねえっ、ここ保土ヶ谷パーキングよね?」

「ああっ、そうだ。」

「わたし、ここにバイクで来るのが夢だったんだ。これから何度でもここに来れるかしら?」

「もちろん、来れるさ。・・・何度でも。」

俺は、カミさんの“女のカン”を少しだけ信じる気になった。




たった一人のバイク乗り−Encounter− 2010年01月25日(月)
半日で切り上げた土曜の午後、帰宅する電車内は思った以上に混雑していた。
自宅の玄関ドアを開けると、そこでカミさんが観葉植物の手入れをしていた。

「あら、早かったのね。」

「ああっ、途中で切り上げた。」

「今日は“約束の日”ですものね。どうやって行くの?」

「高速(道路)を使うよ。今からなら、あまり混まないと思う。」

自室に上がり、着替える。ヘルメットとグラブ、昨日用意した荷物を持ってガレージに行く。バイクのリア・シートに荷物を括りつけていると、カミさんがやって来た。

「もう何年になるかしら?」

「10年目だよ。」

「早いわね。」

「ああっ、あっという間さ。」

バイクを家の前に押し出し、エンジンを駆ける。カミさんは、少し離れてそれを見ていた。

「気をつけてね。」

「明日の午前中には戻るよ。」

市道からバイパスへ、バイパスから国道へ走り中央高速に乗った。ICのゲートを過ぎると、少し登り坂の直線が続き、大きなコーナーに入る。そこからの道は山間部を縫うように、大小のコーナーが連続することとなる。
この高速道路は、首都圏から“日本の背骨”とも言える山岳地域を経て、太平洋岸の大都市とを結んでいるが、所々にジャンクションがあり、枝分かれで様々な地域に行くことができた。また、沿線に多数の観光スポットがあり、平日でも交通量が多い。土曜日の午後は更に車の数が増えているよだが、特に渋滞する気配はなかった。
天気はまずまずで、雲は多いが雨が降り出すことはないだろう。そして秋が、深まりつつあった。スピードは、それほど出てはいないが、革製のジャケットを叩く風が少し冷たく感じた。小振りのビキニ・カウルが無ければ、更に寒く感じるに違いなかった。

1時間程走って、分岐となる大月のジャンクションに達した。本線は右に行くが、左の支線に入る。ここから更に20分も走れば、デット・エンドの河口湖ICに着く。そこは、日本で最も高い山、富士の懐だ。
大きな高速コーナーを左に左に抜け、トンネルに入る。中の空気が、生暖かい。トンネル出口を過ぎると、すぐ上を高い橋梁が渡っていた。この橋梁はリニア鉄道の実験線で、逆方向から来れば(もちろん運がよければの話だが)、少しの間だけ未来的な実験車両の姿を見ることができる。

橋梁から先は、開けた裾野の景色となる。高速はその中を真っ直ぐ走っている。本来なら、左手に大きく富士の山が見えるはずだが、雲が多くなっていたので、おぼろげなシルエットでしかない。河口湖ICの手前、都留ICで高速を降りた。その時、ICのゲートを潜ったのは、俺一人だった。
ICから続く、都留の町中は閑散としていた。観光客の多くは、河口湖ICまで行く。何かの目的が無い限り、このインターを使う者はあまり無い。
街中のスーパー・マーケットで、食料を買い込む。今日は、キャンプの予定だ。
買い物をリアの荷物に押し込み、再び走り出す。人通りの少ない商店街を抜けて、郊外に向う。国道の交差点を過ぎて、小高い山に延びる細い道に入る。少しづつ標高が高くなる。
行き交う車も無い。バイクの排気音だけが、山の中に木霊する。

人家が途切れて10分ほど走ると、左手に大きな建物が現れた。これは、数年前に建てられた「立ち寄り湯」の施設だ。緑色の山を背景に、落ち着いた配色を持ち、メインの建物の前には広い駐車があった。



日本は火山国で、日本人は温泉好きだ。昨今、こういう施設をあちこちで見かける。
地元の人々の、憩いの場としての機能が主であろうが、あわよくば外部からの観光客を取り込む材料にしたいとの意図もあるのだろう。まだ時間が早いのか、駐車場内には2〜3台の車しかない。
駐車場の入口を過ぎると、すぐに狭い川にかかった橋があり、その先にはデコボコの轍となった未舗装の上り坂が続いていた。轍にフラれる前輪を抑え、50mほど登りきったところにキャンプ場あった。

グズグスいい出した、エンジンを切ると川の流れる音に混じって、鳥の声が小さく聞こえた。バイクを降りてヘルメットを取り、深呼吸をする。森林浴という言葉が一般的なものとなって、どれくらい経つだろうか。この場所は、それに相応しいものだった。

キャンプ場自体は、それほど広いものでない。正面には高い木々が生い茂っていて、陽射しを遮っているが、逆の、登ってきた坂道方向に樹木は無く、さっきの立ち寄り湯の全景が見えた。また坂の途中、今の場所から一段下がったところは、芝のみが茂るオープンなキャンプ・サイトで、そこには屋根のついた炊事場があった。炊事場には、木製の大きなテーブルもあった。

管理事務所と思しき建物の前に行くと、ドアに張り紙があった。それによると、この時期、使用料は下の立ち寄り湯にて受付るとのこと。テントを張り終えて、一風呂浴びるついでに払う事とした。

予想していたことだが、もちろん“先客”は、いなかった。なぜなら地図を開いても、立ち寄り湯の名称記載はあるが、キャンプ場のマークはそこに無いからだ。実際にここに来た者しか、キャンプ場の存在はわからない。“もったいない”ことかもしれないが、そういう場所は必要なのかも知れない。

バイクを押して、下のサイトまで降り、そこでテントを張った。
荷物の整理を終え、タオルと懐中電灯を手にして、歩いて立ち寄り湯に向った。

館内は広く清潔だったが、入場者はやはり少なく、湯殿の途中にある大広間の席に着く人もまばらだった。
ここの湯は良い。内湯も良いが、露天風呂が広い。サラリとした無色透明で、はっきりした特徴はない単純温泉であるが、ぬるめの温度設定で長く入ることができる。
湯に浸かっていると、周囲がゆっくりと暗くなった。オレンジ色の照明が、露天風呂を照らす。見あげると曇り空で、星は隠れているが、三日月が朧に白く浮かんでいるのが見えた。

時間を掛けて湯に入り、立ち寄り湯を出た。
駐車場の側を歩いていると、後ろから連続する排気音が聞こえてきた。音は瞬く間に近付き、ヘッド・ライトの光が暗い夜道を照らし出した。後方からの光を遮る自分の黒い影が道に映し出された瞬間、すぐ側を一台のバイクが通り過ぎた。小さく赤いテール・ライトが、坂道を登っていく。

キャンプ場に戻ると、バイクの主が、ちょうどヘルメットを取るところだった。
若い男だった。男は、俺に向って言った。

「こんばんは。」

「よおっ。」

エンジンは切っていたが、ヘッド・ライトは点けたままで、周囲はかなり明るかった。
バイクはK社の250ccモタード・モデルで、色々とカスタムが施されているようだった。

「ここ、キャンプできますよね。」

「ああっ、大丈夫だよ。下の温泉で料金を払うのさ。」

「そうですか。お一人ですか?」

「ああっ、君もかい?」

彼はうなずくと、人なつっこそうな笑顔を見せた。

「ご一緒してもいいでか?」

「かまわんよ。俺も退屈してたとこさ。」
笑顔を返した。

彼はヘッド・ライトを点けたまま、下のサイトにバイクを降ろし、俺のテントから少し離れたところに自分のテントを張りはじめた。
その間、俺は管理事務所の脇で見つけた薪を持ってきて、東屋の中の竈に火を点けた。調理用でなく、夜の始まりとともに気温が下がっていたので直火で暖を取ろうと思ったからだ。それからテントからランタンやガス・コンロ、食器類、食材を持ち出し、炊事場のテーブルに並べた。もちろん、たっぷりの酒も・・・。
程なく、彼も炊事場にやって着た。

人の“値踏み”をするわけではないが、どんな道具を持っているか(使っているか)で、“経験の度合い”を予測することができる。持ってきたキャンプ道具類から、彼がかなりの“経験者”であることが良く分かった。
互いに持ちよった食材を前に、ちょっとした宴会が始まった。

彼がバイク好きであることはもちろん、方々にツーリングに出かけていることが、話していて良く分かった。何より陽気で、ひどく明るく、話題は豊富。俺との年齢差は、一回り以上(もしかすると“ふたまわり”)もあると思ったが、“ネタ”が尽きることはなかった。

「これって、K社の人気モデルだろう。でも、こんな色あったかな?」
俺は、彼のバイクを指して聞いた。バイクは、鮮やかな紫色だった。

「もちろん、ないですよ。俺の自家塗装ですよ。」
彼は、少し自慢げに言った。

「綺麗に塗れてる。たいしたもんだ。」

「どうも、どうも。・・・紫が好きで、俺、こいつのことを“レディ・ヴァイオレッタ”って呼んでるんですよ。しかし、古いのに乗ってますよね。たしかS社のGS・・・ですよね。」

「ああっ、そうさ。もう20年の付き合いになるかな。」

「すごいですね。ところで、この料理、美味いですよ。なんか名前でもあるんですか?」
彼は、俺が作った料理を食べて言った。

「名前・・・。そうだな“ナスノチャワンヤキ”とでも言うかな・・・。」
彼は、俺が適当に答えた料理の名前を聞いて、ケラケラと笑い転げた。
それは、ひどく簡単な料理だった。ナスを半分に切り、直火で焼いたあと、ダシ汁と醤油・おろし生姜で味付けしたものだった。

夜の深さと酒が進むにつれ、話は更に取り留めの無いものとなった。
お祭りの夜、絡んできた不良学生と一食触発の状態になり、小川に飛び込んで逃げた話。ピンポン球をタマゴと間違って、飲み込みそうになった話。ネッシーが泳ぐのを見たくてイギリスまで行ったが、結局ネス湖までは行かず、ビートルズやストーンズ、U2のCDを大量に買い込んで帰ってきた話等々・・・。彼の話しは、支離滅裂なものばかりだったが、楽しかった。

そろそろ日付も変ろうとする頃、彼は俺にこう話かけて来た。
「ところで、こんな“何も無い日”に、なぜバイクでここに来たんですか?」

彼の話し方から、単なる好奇心からの問いであることが分かった。俺は、少し考えて答えた。
「俺には、弟がいたんだ。弟は、今から10年前に死んだ。
病気だったよ。弟もバイクに乗ってて、一緒によくツーリングに出かけた。
その弟が死ぬ間際に俺に行ったのさ、
『兄貴、俺が死んだら、年に1度くらいは、どこでもいいから俺をツーリングに連れてってくれないか』てね。俺は弟にそのことを“約束”した。
今日は、その弟が死んだ日さ。」

彼は、黙って俺の話を聞いていた。

「湿っぽい話で、すまんな。・・・何ね、弟にかこつけてバイクに乗りたいだけなのさ。」
俺は、笑った。彼も、笑った。そして彼は、こう言った。

「・・・そろそろ“時間”ですよね・・・。」

不思議な言い方だった。なぜか、その言葉を疑問には思わなかった。

「そう“時間”だね。」と、俺は答えた。

“俺達ち”は、立ち上がった。彼は明るく灯ったガス・ランタンを下げ、俺は懐中電灯を手にした。炊事場から出て、キャンプ場のはずれに向って歩き出した。そこには細い登山道があり、登り始めた。酒量はそれなりのはずだが、酔いが廻っていたわけではない。
互いの灯りが照らす以外、前後左右は真っ暗な道を、身体を前に傾ぐように上へ上へと登った。不思議な事に「不安」も「怖い」という気持ちも、湧かなかった。むしろピクニックにでも来ているような、口笛でも吹きたくなるような気分だった。
やがて視界が大きく開け、小高い丘のようなところに出た。

そこは黒い山を背景に、広い“草っぱら”だった。良く見ると、繁っているのは大半がススキで、眼下に街の明かりが点々と灯っていた。高速道路の外灯の列が、その中央に真っ直ぐなラインを作っていた。そして更にその奥、黒い山の稜線の背後は相変わらず深いグレイの夜空で、天空の高いところに白い靄に包まれた三日月が浮かんでいた。

「やあっ、来ましたよ。・・・時間どおりですね。」

そう言って彼は、空の一部を指差した。そこには、米粒ほどの銀色の光があった。米粒はすぐに野球ボールになり、バスケット・ボールになり、そしてフラ・フープほどになった。円盤上の物体は、その大きさのまま、音も無く静かに俺達のすぐ真上で停まった。銀色の光が、風に揺れるススキの原を照らしていた。円盤は、ゆっくりと回転しているようだった。

彼も俺も、ただ上空にある円盤を眺め、言葉は無かった。不思議な光景だったが、恐怖はなかった。それより、キラキラと輝く円盤が、美しいと感じた。

ふいに、頭の中で声が聞こえた。
「ジカンドオリキタヨ。マタセナカッタダロウ。」

それは、明らかに円盤から発せられたものだったが、“音”ではなかった。
円盤は、ここに来たことを“自慢”しているようだった。
そして、更に“円盤の声”が聞こえてきた。

「ノッテミタイカイ?」

「乗せてくれるのかい?」
俺が答えるより早く、隣にいた彼が声を出した。

「イイヨ・・・、デモ、ジョウケンガアル。」

「なんだい?」
彼は、大声で叫んだ。

「エイガ(映画)ニ出タコトガアルカイ?」

俺は、映画になど出たことは無い。彼は、少し考えて答えた。

「あるよ。僕は役者志望で、エキストラで1度だけ出た。」

「オーケー」

円盤の中心から、金色の光が延びてきて彼の身体を包んだ。その光のチューブの中を通って、彼は円盤の中に吸い込まれた。円盤の放つ銀色の光が明滅し、回転が速くなった。
あっと思う間に、円盤は遥かな天空に登っていき、そして凄いスピードで戻ってきた。戻ってくると、俺の上を旋回しながら、波打つようなリズムで上下に動いた。
円盤の上部が俺の目線と並行になる位置まで降りて来た時、側面に丸い窓が見えた。
窓の奥に彼がいた。
彼は、俺に手を振った。
楽しそうに・・・。



テントの中に射し込んだ陽射しで、目が覚めた。頭の芯が、少し痛かった。
寝袋のジッパーを下ろし、テントから頭だけ出して外を見た。
雲ひとつ無い青い空と、澄んだ空気があった。頭を左右に降ったが、近くにあるはずの彼のテントもバイクも、無かった。
パーコレーターとガス・コンロを取り出し、炊事場に歩いた。
テーブルに“メモ”が残されていた。

−昨夜は、お世話になりました。とても楽しかったです。先に行きます。また、どこかでお会いしましょう。 レディ・ヴァイオレッタ−

コーヒーを飲みながら“メモ”を読み返した時、どこか遠くから、ゴーという音が聞こえた。
青い空に、白い飛行機雲が山の稜線から真っ直ぐに、登っていくのが見えた。




たった一人のバイク乗り−Lovers in the rain− 2009年12月20日(日)
雨になった。
朝、自宅を出た時は晴れていたし、この高原に着いた昼過ぎも穏やかな陽気だった。
昼飯を摂って、“もう一走り”と思ってレストランを出ると、遠くの稜線に灰色の雲が見えた。
初夏の頃、山の天気は変わりやすい。動きの速い雲はみるみる広がり、青い空を覆おうと、そこから細かい雨が降りてきた。
激しい“降り”ではないし、暫くすれば止むだろうと思った。その証拠に遠くの空には、雲の切れ間も見えていた。用意してきたカッパを着る。
少し迷ったが、ここに来るまでワインディングは充分楽しんだし、この先予定があるわけで無かったので山を降りることにした。ただ、来た道を戻るのでは芸が無いと考え、別ルートを選んだ。そこは主要道路とは反対の裏道だった。

車も少なく、人の気配もあまり無い峠道を下っていく。シトシトと降る雨がヘルメットのシールドを濡らし、路面を黒く染めている。当然、スピードを出す気にはなれないが、これを苦痛に感じることは無かった。

バイクで雨中を走るということは、もちろん何度もある。バイク乗りにとって、雨は天敵のように思われがちだが、この日の雨は少し様子が違っていた。
表現は適当ではないかも知れないが、この雨は、明るく柔らかな雨だった。
カミナリを伴なうとか、時折激しく降るとか、冷たいとか、そういうことは無く、淡々と“ただ降っているだけの雨”。
山々を行過ぎる“ちぎれ雲”が優雅に動き、霧とも霞みともしれない白く薄い靄が、道を横切っていく。木々にまとわり着いた水滴の一つひとつが、キラキラと輝いている。晴れの日では見ることの出来ない幻想的ともいえる景色だった。不思議な事に、いつの間にか、雨であることを楽しんで走っていることに気が付いた。

リアを多少滑らせながら、雨のワインディングを走る。2時間ほどで平地に出たが、雨はまだ続いていた。道の左右は広い田園風景となり、遠い山の麓まで田圃が広がっている。農道と読んでいい一車線の広い真っ直ぐな道をゆっくりと走っていく。小振りのビキニ・カウルのおかげで、雨が多少は身体に当たらないが、心配なのはエンジン。電装系の配線やハーネスに水滴が侵入し、突然ストップしないか少し不安になる。

幾つかの小さい集落を経て比較的大きな町を抜けると、交差点の上に国道方面への表示が出てきた。交差点を右に折れ国道に向う。
再び田畑しか無い道が続く。信号すら無い広い道なのに、制限速度は40km/hの表示だった。そこをプラス10〜15km/h程度で走っていく。

もうすぐ国道に出る頃だろうと思っていると、前方に一台のバイクが停まっているのが見えた。その横を過ぎようとした時、すぐ側にうずくまっている“何か”があった。50mほど過ぎて、ウインカーを左に出す。エンジンを切ると、雨音に交じり、金属が冷える時のキンキンという音が聞こえた。ヘルメットを取らず、そのまま停まっているバイクまで歩いた。

バイクの側にうずくまっていたのは、若い男だった。彼は、濡れた路面に工具を広げ、外装パーツの一部を外していた。バイクはH社のミドル・クラスのアメリカン・モデル。ハンドルやシート、マフラーを社外品に替えている。

ヘルメットのシールドを上げて、声を掛ける。ヘルメットを取らなかったのは、雨が少し強まったからだ。

「ようっ、どうしたい?」

彼は、振り向くと、少しキョトンとした顔を見せた。かなり“若い”・・・。

「・・・どうも・・・。」

「止まっちまったのかい?」

「ええっ、いきなり・・・。分けがわかんないすよ・・・。」
そう言うと、再びバイクに向き直りエア・クリーナー部分に手をかけたが、それも迷うようにやめて、シートを外そうとした。

「ちょっと、“見せて”みな。」
俺の申し出に、彼は無言で立ち上がった。背丈は俺と同じくらいか。
彼は、バイクの横に立った。シールドを外したオープン・フェィスのヘルメットにクラッシックスタイルのゴーグルをのせている。Tシャツに黒の革ジャン、裾ほつれたブルー・ジーンズ姿で、すっかり雨に濡れている。ベージュ色のグローブも、水を吸って所々黒く変色していた。

車体のサイドのイグニション・キーをひねると、メーター内のニュートラル・ランプが点灯した。セル・ボタンを押す。モーターの廻る音が聞こえるが、弱くか細い。当然、エンジンはかからない。試しに、クランク・ケースに手をかざしてみると、まだ暖かかった。

「ダメっすよ。さっきから、やってんですが、全然・・・。」

俺は、工具を取って前シリンダーのプラグを外した。ソケットに指したまま再びセル・ボタンを押すが、プラグの先端に変化はなかった。

「・・・リークだな・・・。」
プラグ・コード自体は何の変化も無いように見えたが、何処かにクラックが入っているのかも知れない。バッテリーも、弱っているようだ。

「ハッキリとは分からないが、ここじゃ、(直すのは)無理だな。」
俺は、傍らで俺の手元を見ていた彼に言った。
確実にリークであることを確認するには、テスターがいる。それだけならいいが、まだ他に原因があるのかも知れないし、仮にリークだけであったとしても雨の中でそれを修理するのは無理があった。

「そうですか・・・。」
彼は、落胆したように声を出した。周りは何も無い田園地帯で、行き交う車も人も全くなかった。せめて晴れていれば、なんとかなるが、いずれにしても、この場所ではどうにもならなかった。
そんな時、“おせっかい”が顔を出す。後悔したことも何度かあるが、性分なのかもしれないと、あきらめる。
俺は、彼に向かって言った。

「・・・どうだい、この手前の町にバイク屋があったよ。俺がそこに行って、迎えに来てもらうというのは・・・?」

彼の顔が少し、“明るく”なった。
「ほんとっすか。いいんすか、そんなこと頼んで・・・。」

「ああっ、いいさ。困ってる時は、お互い様さ。」
何が“お互い様”なのか?

「ありがとうございます。じゃあ、ついでにお願いがあるんですが。」

「なんだい?」

「そのバイク屋まで、あいつを乗っけてってもらえませんか?」
彼の示す方見ると、道端に小さな祠のような建物があり、その横の大きな木の根元に、若い女性が座っていた。彼女は、何時からか分からないが、俺達のやりとりを見ていたようだった。
“ほらほら、これは面倒の元か・・・?”
俺は5秒だけ考え、言った。
「いいぜ。」

彼は、その子に歩み寄ると何かを話した。俺は自分のバイクに戻り、Uターンさせた。止まったバイクに横づけすると、そのそばには彼の手を轢かれた女の子が立っていた。

彼女は、彼とお揃いのヘルメットをかぶっていた。バイク用では無いベージュのジャケットに、裾の少し広がったパンタロン・スタイルのジーンズ姿で、雨具のようなものは何も身につけてはいなかった。ジャケットは肩口からすっかり濡れて、ジーンズも膝から下が水を吸って少し濃い色に変わっている。素足にスニーカーで、ここにも水が侵入しているようだった。彼女は、無言で俺の前に立った。
スラリと背が高く、切れ長の目に通った鼻筋が都会的な雰囲気を醸し出していたが、雨に濡れていた時間が長いのか、うんざりとした表情で俺の顔を見ていた。

(後で思い出すと)キザなことだったが、カッパの上だけを脱いで彼女に渡した。彼女は少しだけ意味が分からないといった顔で、手に持ったカッパと俺を見比べたが、彼に促されそれを着た。
念のため彼と携帯の番号を交換し、彼女を後ろに乗せて走りだした。見ず知らずの若い女性とタンデムすることなど、これまでなかったことだった。しばし背中に彼女の暖かさを感じたが、もう“トキメク”ような歳でもない。20分ほど走ると、バイク屋に着いた。幸いなことに営業していた。

間口の広い引き戸を開けて中に入ると、すぐに女性が出てきた。化粧っけの無い素顔にこざっぱりとしたスタイルで、30代半ばだろうか。事情を説明すると、一旦奥に引っ込んで、
今度は男性を連れてきた。この店の主だろう、年の頃は女性と同じくらいか、白い作業用の“つなぎ”姿で、短く刈り揃えた髪の毛とほどよく日焼けした面差しが精悍な印象を与えた。二人は夫婦で、この店をきりもりしているに違いない。

「雨でたいへんですね。“軽トラ”があるんで、迎えに行きますよ。」
店主はそう言うと、軽いフット・ワークで店を出て行った。

「今、お茶でも出しますので、こちらでお休みくださいな。」
奥さんは、そう言うと店内の傍らにあるソファーをすすめた。

「ありがとう。」
俺は、ソファーに腰をおろした。その時まで、戸口に突っ立っていた彼女も、俺と向かい合わせにソファーに座った。

あためて、以外に広い店内を見渡して見た。排気量の大きいバイクは無いが、スクーターが何台かとビジネス車が綺麗に並んでいる。工具・整備機械類はきちんと整理され、使いやすい配置で置いてある。バイク以外にコンパクトな農業機具や発電機なども扱っているようで、この地域に密着した仕事ぶりが良く分かる店づくりだった。

ほどなく、奥さんがお茶を運んできた。

「どうぞ・・・。」

「どうも、すいません。」
俺は、ガラスのテーブルに出されたお茶を一口飲んだ。良い香りが口の中で広がり、気持ちが落ち着くのが分かった。気が利く奥さんで、彼女にはタオルを持ってきた。彼女は無愛想にそれを受け取ると、無造作に頭や顔、身体を拭きだした。

「どちらから、来られました?」
奥さんは彼女の隣に座ると、俺に話かけた。

「俺は、東京です。」

「それは、それは、いい季節がきましたが、今日は雨になっちゃって、“お連れさん”難儀なことですね。お三人でツーリングですか?」

「いやっ、俺はソロですよ。走ってる途中、彼等が止まっていたので声を掛けたんですよ。」

「ああっ、そうですか。それは、ご親切に・・・。でも、珍しいバイクにお乗りで・・・、
あれは、S社のGS・・・ですよね。」

さすがにバイク屋だった。
「ええっ、もう“三十路(みそじ)過ぎ”ですよ。俺は“四十路(よそじ)過ぎ”だけと゛ね。まあっ、俺もどっかで“一休み”と思ってたところで、いいタイミングだったよ。」

奥さんは、ケラケラと明るい声で笑った。その時、奥の方から子供の声が聞こえた。
奥さんは「ちょっと、すいません」と言って、席を立った。
店の中に、雨の音だけが残った。ふいに、目の前の彼女が口を開いた。

「・・・あの・・・、“リーク”ってなんですか?」
呟くような声だったが、こわばった様子は無かった。

「“リーク”は、“漏電”のことさ。プラグ・コードのどこかに亀裂が入っていると、こんな雨の時はそこから水が入って、プラグに火花が飛ばなくなる。そうなれば、エンジンは止まっちまう。」

「直るんですか?」

「リークがコードだけのことなら、簡単なことさ。コードを替えればいい。予備のコードがなくても、水分を飛ばしてテープで応急処置をして水が入らないようにしてやれば、何とかエンジンはかかるはずさ。」

「そんなモンなんだ・・・。」

「・・・そんなモンさ・・・。でも、バイクはそれで動かなくなる。動かなくなったら、ただの“鉄の塊”なのさ。」

「・・・テ・ツ・ノ・カ・タ・マ・リ・・・。あんたは、その“鉄の塊”が好きなんだ。」
彼女は、ぶっきらぼうに言った。

「まあね。・・・君の彼氏も好きだろう?」

「大好きみたい・・・。ところで、なぜ私達に声をかけたの?それに、親切にこんなところまでつれてきてくれて、なぜ?」

「君の彼が、バイク乗りだからさ。」

「それだけ。」

「ああっ、それだけだ。」

「何の“徳”にもならないかもしれないのに・・・。」

「ああっ、そうだ。何の徳にもならない。
ただ俺も以前、別のバイク乗りに助けられたことがある。
昔のことさ、あるところでエンストして、俺はバイク屋のありそうな街までくそ重たいバイクを押していたのさ。暑い夏の日だったよ。登り坂なんか出てくると地獄さ。沢山のバイクや車が、俺の脇を過ぎて行ったが、あるバイク乗りが止まって声を掛けてくれて、その後バイク屋を連れてきてくれた。その時は助かったし、嬉しかった。
その人は名乗りもせず、すぐに行っちまったから名前も居所もわからない。
だから俺は、その人に“礼”をする代わりに、俺以外のバイク乗りで面倒になってるヤツがいたら、とりあえず声をかけることにしている。・・・それだけのことさ。」

「バイクに乗る人って、同じ仲間だと思ってる人が多いって、アイツが言ってたわ。そういう人が多いの?」

「“多いか”なんて、俺は分からない。“声を掛ける、助ける”なんて人それぞれだろうし、俺自身もそんなことに“期待”はしない。なんたって自分の不始末は、自分で決着つけることが一番いいからな。」

彼女は少し考えるような素振りを見せて、こう言った。

「今日、初めてアイツのバイクに乗ったの。
前から“乗せてやる”って言ってて、朝は天気も良かったし、走ってると風が気持ちよかったわ。走ってる姿もきっと周りからはカッコ良く見えてるだろうって、気分が良かった。
アイツ、走りながら言ったの“俺が後ろに乗せたのは、おまえが初めてで、これからもおまえしか乗せない”って。なんか、嬉しかった。
でも、雨になったから最低・・・。
濡れるし、汚れるし、寒いし・・・。」

「しかも最悪なことに、バイクも止まっちまったか・・・。」
挙句の果てに、おかしな中年男のバイクに乗って今は知らない土地のバイク屋にいる。
そしてこの先どうなるのか・・・。

立ち入ったことと承知のうえで、聞いてみる。
「君は、彼のことが好きなのか?」

少し間があって、彼女は答えた。
「今は、・・・分からないわ。」

「さっき会っただけで、彼のことも君のことも俺は何も知らない。ただバイクに乗る人間としての彼について、言えることがある。」

「どういうこと?」

「彼はバイクが好きだということと、君のことを大切に思っているということさ。」

「なぜ、そんなことが言えるの?」

「バイクのことは君が“大好きみたい”と、言ったから、たぶんそうだろう。
(彼女は少し、笑顔を見せた。)
バイクが好きなヤツは、バイクの怖さもある程度分かっているはずだ。怖さの知ってるヤツは、バイクのことを知らない人間を後ろには乗せない。後ろに乗せることは、その人間の命を預かることで、必ず守るべき人になるからだ。
俺がそう思いこんでいるだけかもしれないが、俺が後ろに人を乗せたなら、俺が死んでもその人を守るつもりさ。
(彼女と一瞬目が合った。)
・・・だから、さっき君を乗せた時、俺はすごく“緊張”してたよ。」

俺が話し終えると暫くして、彼女は「バカみたい・・・。」と、つぶやいた。

「あら、すっかり雨があがりましたね。」
いつの間にか、店に戻ってきた奥さんが、少し大きな声を出した。
雨は止んでいた。バイク屋の広い入口のガラス戸を通して、赤い陽がゆっくりと差してきた。俺は横に置いたヘルメットを取り上げ、ソファーから立ちあがった。

「あら、もう行かれますか?」
奥さんが、俺に聞いた。

「お茶、ごちそう様。充分休ませてもらいましたよ。」

俺は、彼女に向きなおって言った。
「じゃっ、アイツに“よろしく”な。・・・あんまり、彼を責めるなよ・・・。」

ポケットからキーを取り出して、店の扉に手を掛けた時、
「・・・ありがとう・・・。」と、小さな彼女の声聞こえた。

店の外に出ると、周囲は真赤だった。広い田園地帯とまばらな民家が、どこか懐かしい景色に見えた。

バイクで走りだすと、前方から軽トラが走ってきた。

助手席に、彼が座っている。

すれ違いざまに、短くホーンを鳴らした。








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