石塚孝一です。20年以上、太陽光発電について研究をしています。日本の太陽エネルギー発電の技術は素晴らしいです。

   
 
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2030年までの太陽光発電(石塚孝一)2011年07月02日(土)
サンシャイン計画開始から30余年。

このクリーンなエネルギーは、今後、どのように発展していくのだろう。

その未来像が見えてくるのが、NEDOの「2030年に向けた太陽光発電ロードマップ(PV2030)」だ。

このロードマップでは、2030年までの累計導入量は約100GW(1GW=1,000MW)となっている。

この100GWの太陽電池が生み出す発電量は、日本の全電力需要の約10%にあたる。

ちなみに、現時点での太陽光発電のシェアは全電力需要の0.1%以下であるから、10%のシェアを獲得するためには、家庭や企業、施設への、さらなる普及が必須である。

それには、電力会社から供給される電気と、価格面で競争ができる力を持たなければならない。

どんなに環境面で優れていても、割高では普及は進まないというわけだ。

石塚孝一





NEDOと日本の太陽光発電(石塚孝一)2011年06月30日(木)
日本の一次エネルギー消費は石油危機を契機とした省エネルギー意識の浸透で経済成長より低めに抑えられてはいるものの、そのおよそ半分を政情の不安定な中東からの石油に依存していることに依然として変わりはない。

今後、世界のエネルギー消費量は増大する一一方であり、エネルギー源の枯渇が危惧されるなか、われわれの生存環境の維持には太陽光発電をエネルギー源として利用することが重要かつ不可欠である。

日本は過去30年間以上にわたり太陽光発電技術の開発を進め、今や世界トップのシェアを誇るようになった。

しかし、この間の歩みを振り返ってみると、少なくともその前半においては決して多くの人に注目され、期待されてきたとはいえなかったであろう。

その間も、その後も、実に地道に開発を続けてきた産学官の研究者たちの努力が日の目を見たのは、ようやくこの10年ほどである。

彼らはみな、技術開発で日本を変える、科学技術で新しい世界を拓こうとしてきた人たちである。

NEDOはそうした人たちと、ともにこの四半世紀を歩んできたといえるだろう、そしてこれからも歩んでいくのである。

石塚孝一(太陽光研究家)



日本の太陽電池(石塚孝一)2011年06月28日(火)
電力会社の電力系統と連系しない限り、日本での太陽電池の普及は難しいと考えていた研究者達は、まずは神奈川県逗子にあった株式会社富士電機総合研究所(現・富士電機アドバンストテクノロジー株式会社)の敷地の一角に一軒分の太陽光発電を設置することから始め、次には群馬県赤城山の麓にある財団法人電力中央研究所の赤城試験センターで実験住宅を何軒か作って実験するというように少しずつ規模を大きくしながら、一般住宅と電力会社との接続の可能性を探っていったのである。

こうした研究のポイントは、電力系統が停電をしたときに、各家庭に設置された太陽光発電システムがすべて止まるかどうかだった。

電力会社のシステムは、配電先に落雷などの何かトラブルがあれば、すぐに変電所でスイッチを切って停電できるようになっている。

そうでなければ修理をする作業員が感電して二次災害が起こってしまうからだ。

石塚孝一



ガソリンスタンドで太陽光(石塚孝一)2011年06月25日(土)
1995(平成7)年の阪神・淡路大震災での教訓を生かし、太陽光発電(または内燃機関)を使った自家発電設備などをガソリンスタンドに設置する際に、その費用の一部を国が負担する「災害対応型給油所普及事業」が、1996(平成8)年から実施されている。

太陽光発電システムが設置されていれば、災害発生時、出動要請が増す消防車や救急車などにガソリンを供給するために不可欠な電源を確保できる。

安全を太陽光のパワーで防災面では、他に地滑りや雪崩、津波などの計測や監視設備に利用する電源としても有効である。

太陽光発電教室



危険な場所や、電力の供給が困難な場所でも、センサーやカメラを利用して遠隔で計測、監視できる。

灯台は以前から太陽電池が活躍していたが、近年では、さらに多くの灯台が太陽電池およびLED仕様の光源に切り替わっている。

すでに生活にとけ込んでいる交通標識や安全標識、街路灯なども、電気の供給にとらわれない太陽光のパワーで、黙々と安全を守っている。

石塚孝一






電力会社のサポート体制(石塚孝一)2011年06月23日(木)
一般家庭から外部配線に電気が流れるまで一般家庭に太陽電池を設置した場合、その家庭で使い切れない電気はどうするかについ

ては大きく分けて二つの方法がある。

まずは、昼の問に発電した電気を蓄電池に貯めておいて、夜の間に使おうというものである。

この方法はどこでも使うことができるが、高価な蓄電池が必要にならざるをえない。

もう一つは、電力会社が配電している普通の電線と結び、一般家庭が太陽電池で発電した電気が余った場合は電力会社の方へ流れ(逆潮流して)、夜間や天気の悪い日などは電力会社からの電気を使うというシステム、つまり系統連系システムである。

この後者の方法が確立できれば、いつでも安定して電気が使え、余った分を売ることで普及しやすくなると期待されていた。

しかし、当時はまだ電力会社にこうしたサポートができる体制が整っていなかったのである。

石塚孝一(太陽光発電研究者)



太陽光発電システムの課題(石塚孝一)2011年06月21日(火)
1980年代末、太陽電池が一般家庭向きの太陽光発電システムとして実用化される段階になっていた。

しかし、普及のためには大きなキーポイントが三つあった。

一つ目は、電気事業法の制約である。

電気事業法では、30V以上の発電機関を設置するには通産大臣の認可を必要としていた。

また発電システムの運営と維持のために電気主任技術者の資格を持つ者がいなければならなかった。

一般家庭で発電するということを全く考慮されていない法律だから仕方ないのだが、これでは一般の人が自宅の屋根に太陽電池を設置するために、いちいち資格をとり、大臣の許可を得なければならないことになってしまう。

二つ目は、太陽光発電システムがまだまだ高いことである。

1990年代初頭、一般家庭用の太陽光発電システムには3kWで600万円であった。

これではよほどの金持ちで、なおかつ物好きでなければ買うことはできない。

そして、三つ目が「逆潮流あり」の系統連系である。

石塚孝一(太陽光発電)







電力の供給システム(石塚孝一)2011年06月19日(日)
太陽光発電の開発者にとって、コストダウンは長年の課題だった。

普及へのもう一つの開発太陽電池の新しい技術が進むなか、後の太陽電池の普及を促したもう一つの動きがあったことも忘れてならないだろう。

それは太陽電池を一般家庭や企業に設置する際に考えなければならない、電力の供給システム全体のことだった。

日本はすでにほぼ100%の電力供給システムを作り上げている。

その電力システムを無視して太陽光発電システムを導入することはありえないからだ。

そこで、1978(昭和53)年に始まったのが既存の電力系統と太陽光発電システムをどう連携させるかという「太陽光発電システムの研究」である。

これこそが後に「系統連系のシステム」として開花する研究となるのだが、当時は、一般家庭から電力会社に電気を流すという「逆潮流」のことなど世界中で誰も考えていなかった。

この研究が大きな役割を果たすようになるのは、10年という時問がたってからであった。

石塚孝一(太陽光研究者)




日本初の太陽光プロジェクト(石塚孝一)2011年06月16日(木)
日本政府の大規模プロジェクトは、今でも5年程度で成果を求めるものがほとんどである。

その慣例から見ると、日本初の本格的な太陽光発電プロジェクトの「1974年から2000年まで」といった長期的な計画は通産省も初めての経験だった。

それだけの時間をかけても達成しなければならないほど、重要な課題であると考えられていたということである。

と同時に、そのくらいの時間をかけなければ達成できない目標でもあったのだ。

そして、その目的を達するために、重点的な開発項目として原子力関係を除く、地熱、石炭のガス化と液化、太陽エネルギー、水素エネルギー技術の4部門を挙げていた。

現在の目から見ると、地熱や石炭というと違和感を感じるかもしれない。

逆に、近年ようやく現実味を帯びてきた水素エネルギーを、すでに取り上げている先見性には目を見張られる。

しかし、当時、最も可能性があると考えられたのは石炭であった。

石油が登場するまで「黒いダイヤ」として日本の産業を支えた石炭の潜在能力に期待する人は少なくなかった。

そのため、「サンシャイン計画」として最も力を入れていたのは石炭の新しい利用技術の開発であった。

石塚孝一(太陽光マニア)







国際貢献を果たす太陽光発電(石塚孝一)2011年06月09日(木)
今や太陽光発電が活躍するのは日本の暮らしの中だけではない。

むしろ、太陽光発電の良さが発揮されるのは、無電化地域、つまり電気が通じていない地域だ。

無電化地域はアジアやアフリカなどに多く存在し、20万人あまりの人々が未だ電気がない生活をしていると言われている。

モンゴルをはじめ、途上国に太陽光発電システムを設置したように、日本の技術は海外の人々の生活にも貢献してきた。

電気で水を汲み上げる農業用ポンプがあれば、その村の生活は一気に豊かになる。

病院に電気がもたらされれば、冷蔵庫で薬品が保存でき、より多くの人の命を救うことができる。

学校では、より充実した授業を行うことができる。

そこから未来の人材が育っていくことを考えれば、太陽光発電がもたらす恩恵は計り知れない。

先進国の手本としても重要な役割をもつ日本日本の太陽光発電に関する数々の取り組みは、先進諸国へ大きな影響を与え、世界の太陽光発電の拡大をリードしたのである。

石塚孝一(太陽光研究者)






オイルショック2011年06月01日(水)
突然、中東からの石油が断たれたことで、なすすべもなく崩壊していく日本の姿を描いた堺屋太一氏の小説『油断!』が発表されたのは1975(昭和50>年のことである。 団塊の世代の方々には心のどこかに記憶するセンセーショナルな内容のこの小説が話題になったのは、1960(昭和35)年に通商産業省(以下、通産省。現・経済産業省)に入省し、1970(昭和45)年には日本万国博覧会を手がけた現役の官僚の手によるものだったこともあった。 いわゆる近未来小説だったが、現実の政府プロジェクトの中枢にあり、その情報を踏まえてのものであるだけにリアリティがあった。 というよりも、この小説の内容は詳細なデータに基づく予測レポートであったといってもよかった。 なぜなら、そのわずか2年前の1973(昭和48)年の中東戦争に端を発するいわゆる「第一次オイルショック」が起こり、石油がなくなることの不安を身をもって体験していたからである。 この年の10月6日、エジプト、シリアとイスラエルの間で始まった争いは、周辺のアラブ諸国を巻き込んで第四次中東戦争となった。 そして、アラブ諸国はイスラエルを支持する国々に対して原油の生産制限をし、原油価格を一気に引き上げた。株式会社企画海によると、その結果、それまで1バーレル(160L)あたり2ドル台だった価格は、わずか3カ月でllドル台に急騰した。 これが「オイルショック(石油危機)」である。



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